没98話

 昼休み、屋上に行くと腰かけられそうな段差に荒北くんが座って待っていた。お弁当が入った保温バッグを片手に彼の元に向かう。

「荒北くん、待たせてゴメンね」
「そんなに待ってねェよ。それより、腹減った。早くメシ食おうぜ」
「うん」

 隣に座って持ってきたお弁当箱を開けると、荒北くんが不思議そうな顔をした。

「弁当ふたつも食べんのか? 見かけによらず大食いなんだな」
「ちっ、違うよ。荒北くんに分けようと思ってたくさん作ってきたんだ」

 二人分のお弁当箱には小さいハンバーグに肉団子に、荒北くんの好きなおかずがたっぷり詰まっている。

「にしても、荒北くんもたくさん食べるんだね」

 昼食は購買で売っているパンを買って食べることが多い荒北くん。紙袋の中にはたくさんのパンが入っている。

「もう部活はないんだしあんまり食べ過ぎちゃダメだよ」

 まぁ、荒北くんのことだから太ることはないと思うけれど……。うらやましく思っていると、荒北くんがぽつりと言った。

「これ、の分も入ってんだ」
「えっ、本当!?」
「前々から購買のパン食べてみたいっつってただろ」
「……なんだ。同じこと考えてたんだね。とりあえず食べよっか」

 せっかくなので荒北くんが買ってきたコロッケパンを食べることにする。紙袋の中からコロッケパンを取り出して、一口食べてみる。

「おいしい」
「だろ? 購買のパンはうまいぜ。その分売り切れるのも早いけどな。……ア? このハンバーグ、なんか変わった味すんな」
「隠し味にマヨネーズ入れてみたんだ。意外と相性いいんだよ」

 お互いに持ってきたごはんを食べて、穏やかな時間が流れていく。
 部活を引退してから数ヶ月の月日が経った。部活のない日々は最初のうちは戸惑ってしまったけれど、最近ようやく慣れてきた気がする。これから、卒業に向かってあっという間に時間が流れてしまうのだろう。限りある時間は、なるべく荒北くんと一緒に過ごしたい。いつまでもこんな時間が続けばいいのにな。
 荒北くんと二人でごはんを食べていると、屋上のドアが開いた。

「お、ちゃんに荒北ではないか!」

 「なんで来んだよ……」荒北くんが嫌そうな顔で、東堂くんたちに聞こえないように小声で言った。東堂くんたちもここでごはんを食べるのだろうか、パンやおにぎりが入った袋を持っている。
 困っていると、新開くんと視線がぶつかった。新開くんは申し訳なさそうな顔をしている。

「じ、尽八。やっぱり中庭行こうぜ。屋上は寒くてさ……」
「ここまで来てなにを言っているのだ新開。ほら、そんなに寒いのなら荒北の上着で我慢しろ」
「なんでオレが新開に上着を貸さなきゃいけねーんだよ! オメーの貸せばそれで済む話だろ!」
「わっはっは! オレが風邪をひいてしまったら女子たちが心配してしまうからな! ……む、お前ら、やけにたくさん食べるんだな。部活は引退したというのになんだその雑な栄養管理は! 特にちゃん、肉料理が多すぎだぞ!」
「こ、これはその、今日は特別で……」
「ここで会ったのもなにかの縁だ! オレたちと一緒にごはんを食べよう!」
「え、えぇぇ」

 せ、せっかくの昼食が台無しになってしまう!
 「その唐揚げと引き換えにオレのスープを半分あげよう!」一緒に昼食を食べることに対して何の返事もしてないのに、東堂くんが勝手に私の隣に座って、勝手に話を進めていく。この唐揚げ、荒北くんのために用意してきたものなんだけど……。

「心配するな。邪魔はしない」

 いつも通りに聞こえるけど、顔を赤らめている福富くん。正直気を遣われるのもかえって困ってしまう……。
 五人でにぎやかに昼食を食べる。せっかくの昼食が台無しになってしまったけれど、みんなで食べる昼食の時間は楽しかった。こんなことができるのも、あと少しだ。


 昼休みが終わった後は体育の授業だ。

「よし、もう一点取っていくわよー」

 バスケの試合で大活躍している響子を、休憩中の桃香と一緒に遠目に見る。

「元気だなぁ」
「最近体動かしたいって言ってたしね。……ほら、荒北試合に出てるよ」

 桃香に肘でつつかれて反射的に男子の試合の様子を見る。荒北くんが、ドリブルをして敵チームの執拗なマークをくぐり抜ける。

「アイツ運動神経いいんだね。そんなに運動得意なら、今までの体育の授業真面目にやればよかったのに」
「あはは……」

 苦笑してごまかす。「メンドクセーからやりたくねェ」「なんでこんな時間まで体動かさなきゃいけねェんだ。朝練でくたくただっつーの」今までなにかと理由をつけて体育の授業では本気を出さなかった荒北くん。急にこんなことやるから荒北くんの活躍に目が離せなくなってしまう。

「……もしかして、にカッコいいところ見せたかったりして」
「そんなまさか」

 仲間からボールを受け取った荒北くんが、遠くの位置からバスケットゴールに向かってボールを投げる。ボールはきれいな弧を描いて、バスケットゴールの輪の中にすとんと落ちていった。「今のスリーポイントじゃねーか!!」荒北くんの活躍に同じチームから歓声が上がる。
 すごいなぁ、野球や自転車だけじゃなくてバスケもできるだなんて。こんなことならもっと早く荒北くんの活躍するところ見たかったなぁ。ここまで運動神経よかったら体育祭でも活躍できたかもしれない。……あ、でも、そしたら荒北くんモテたりして……。それはちょっと嫌だなぁ。
 そんなことを思っていると、田島くんがボールを両手に持っていた。

「荒北、パス!」

 田島くんが荒北くんに向かってボールを投げる。今のパスは、無理やりなパスに見えたけれど……。

「ば、バカ!!」

 自分にパスされるとは思わなかった荒北くん。受け止めきれずに顔面にボールをぶつけられて気絶してしまった……。

「あ、荒北くーん!!」

 体育館に田島くんの声が響き渡る……。


 「先生、急に気分が悪くなったので保健室に行って休みます」荒北くんが保健室に運ばれるのを見届けた後私は、体調が悪いフリをして体育の授業を抜け出した。
 保健室に入ろうとすると、中から保健の先生が出てきた。

「あら、あなたも気分が悪いの?」
「は、はい」
「ゴメンなさいね。お客さんの対応でしばらくの間席をはずすんだけど、左側のベッドなら使っていいわよ。右側のベッドは今使っている人がいるから入っちゃダメよ」
「わ、わかりました……」

 去っていく保健の先生を視線で見送って保健室に入ると、右側の仕切りカーテンが閉められている。おそらくあの中には荒北くんがいるのだろう。

「入るよ」

 仕切りカーテンを開けて中に入ると、ベッドで寝ていると思っていた荒北くんが半身を起こしていた。


「荒北くん、起きてたんだ」
「あぁ。……くっそ、顔がヒリヒリする。田島の野郎、後で覚えとけよ」
「あはは……。でも、珍しいね。いつもは体育の授業中あんなことしないのに」
「それはまぁ、オレだってたまには体動かしたい時があんだよ」

 なぜか私から視線をそらして荒北くんが言った。

「それにしても、大丈夫?」

 荒北くんに近づいて彼の顔をよく見てみる。全体的に赤くなっていて、うっすらとボールの痕がついてるけど、幸い痕になるほどの怪我はしていないようだ。安心していると、荒北くんと目が合った。まっすぐに見つめられて硬直していると、荒北くんの顔が近づいて、唇にやわらかい感触があたる。いつもなら目を閉じて受け入れるところだけど、肩を押して中断した。

「だ、ダメだよ。こんな所でこんなことしちゃ……」
「どうしてダメなんだよ」
「だってほら、ここ保健室だし」
「屋上だったらいいのかよ」
「っ――!」

 色んなことを思い出して頭の中がパンクする。先日の屋上での出来事は特別だ。ふたりっきりの部屋の中こういうことをするとエスカレートするかなって思って……。保健の先生もいつ戻ってくるかわからないし……。考えれば考えるほど頭の中がごちゃごちゃになってきた。荒北くんから離れ、近くにあったスツールに座る。

「てっきり、寝てるかと思った」
「あー……。最近、嫌な夢見っからあんまり寝る気しねェんだよな」
「嫌な夢って?」
「オレが野球やってる夢。満席の球場の中、マウンドに立ってボールを投げているんだけどよ……なんか、すっげー息苦しいんだ。観客からの視線がやけに冷たいっつーか、球場の空気がピリピリしてるっつーか。野球のことは、南雲とケンカしてからケリをつけたつもりなのに。なんでこんな夢を見るのか、自分でも不思議なんだ……」

 弱々しい荒北くんの声に、真剣に考えてみる。
 私が荒北くんと会う前の話だ。中学生の頃荒北くんは野球をやっていて、中二の夏の大事な試合の前で彼は肘を壊した。当時は一年の時に新人賞を取るほど野球の才能に恵まれていた荒北くん。もっと上に行きたい。その焦りが肘の故障を招いてしまい、以前のような力強いボールが投げられなくなってしまった荒北くんはその後野球をやめて長い間途方に暮れた。
 福富くんと出会って、自転車に乗るようになってからは前を向いた荒北くん。私と出会ってからは野球をやっていた時にバッテリーを組んでいた相手のことを思い出して、罪悪感に囚われてしまった彼はスランプになって、思うように走れなくなってしまったけれど……。今の荒北くんは過去と向き合って強くなった。そんな彼が、いまさら野球に対してあれこれ思い悩んでいるとは考えられない。
 そういえば前に雑誌で、夢占いの特集を読んだことがある。占いって名前がついてるけどバカにしちゃいけない。夢には、無意識のうちに感じていることを夢に見るというのだ。
 野球はたしか……チームプレイであることから、野球の夢は人間関係を象徴しているという。マウンドに立っている時、息苦しさを感じている荒北くん。占いによるとそれは、みんなに歩調を合わせることに対して煩わしく感じているとか……。

「荒北くんがいまさら? ないない」
「なにがないんだヨ」
「あはは、なんでもない……。前に雑誌で夢占いの特集のページ読んだことがあるんだけど、野球の夢は人間関係の象徴なんだって」
「人間関係ねェ」
「最近、なにか変わったことはない? 誰かとケンカしたとか」
「何もねェよ。誰かとケンカした記憶もねェなぁ。たぶん……」

 最近の荒北くんの様子を思い出してみる。……うーん、特に変わったことはないように思う。

「……なんかうまく言えねェんだけどよ、誰かに見せられてるって感じなんだ。マウンドに立っているのはオレだけどオレじゃないっつーか……」
「荒北くん……」
「なに言ってんだろうな、オレ。ワリィ、今のは忘れてくれ。あんまりだべってると保健の先生に追い出されそうだしなァ。合法的にサボれるんだ、しばらくの間寝ることにする」

 仰向けになって、ふとんをかぶる荒北くん。念のために耳をすませてみたけど保健の先生はまだ帰ってこないようだ。

「寝るまでそばにいるよ」

 荒北くんの手を取って、両手で包み込む。荒北くんの手はあいかわらず温かい。

「私ね、高校を卒業したら荒北くんと離ればなれになることばかり考えては沈んでたんだけど、大学生になったらできることに気がついたんだ。遠くまでおでかけしたり、温泉目当てで旅館に行ったり。その分、アルバイトしてお金貯める必要があるけど……」
「なら、東堂んちの旅館に泊まってみるか? 知っているヤツなら多少サービスしてくれんだろ」
「それは絶対に嫌!!」

 保健室の中がしんと静かになる。
 「あら、ちゃん? またここに来るだなんて……ついに尽八の彼女になる決心がついたのねおほほほほ! 私のことは遠慮なくお姉さんと呼んでいいのよ! さぁ、そうと決まったらお父様とお母様を呼んでこなくちゃ! 大丈夫よ、なにかあったら私がフォローしてあげるから!」うれしそうな麗子さんを思い浮かべる。東堂庵に行くのは絶対に嫌だ……。

「…………ま、まぁ、万が一東堂に会ったらせっかくのデートが台無しになっちまうからなァ」

 荒北くんも納得してくれたようだ。

「車の免許とったら色んな所に出かけられるしね」
「免許ねェ」
「あ、そういえば荒北くん原付の免許持ってるんだっけ」
「あぁ。けど、もう車には乗らないって決めてんだ。自転車に乗るようになってから、原付に乗っていた時かなり無茶な運転をしていたことに気づいたんだ。を乗せるならなおさら、危険な目に遭わせるわけにもいかねェよ」
「なら、私が免許とるよ。そしたら荒北くんを色んな所に連れていってあげる」

 いい案だと思ったんだけどなぁ。荒北くんは納得していないようだ。

「やっぱ、オレも免許とる」
「なんで? も、もしかして私の運転する車怖い……?」
「ちげーよ。に負担かけちまうだろ」
「……じゃあ、一緒にとろうか、免許。大学生になってからの話になっちゃうけどね。免許とったら、どこか行きたいところはある?」
「オレは……と一緒だったらどこでもいい」

 満足そうに笑って目を閉じる荒北くん。すぐに寝息が聞こえてきた。
 起こさないように、荒北くんの手をにぎる。最近嫌な夢を見るって言ってたけど大丈夫かな。もしかしたらなにか悩み事があったりして……。なにか悩んでいるのなら遠慮なく言ってほしい。私じゃ何の役に立たないかもしれないけれど、それでも荒北くんの力になりたいと人一倍思っている。
 気持ちよさそうに眠る荒北くんを見ていたら、つられて眠くなってきた。椅子に座ったままうとうとする。


 ここは、夢の中だろうか。今の私は地に足をつけずに空の中を浮いている。
 足元を見ると遠くに野球場が見えた。野球の試合中なのだろうか。グラウンドにはそれぞれの選手が定位置に立っていて、観客席はたくさんの人で埋まっている。
 それはテレビでよく見る光景のはずなのになにかがおかしい。耳をすませてみるとブーイングが聞こえてきた。……なんでだろう。ここから見たかぎりでは普通にプレーをしているように見える。試合自体に何ら問題はないはずだ。なら、どうして。
 マウンドに立っている選手が空を仰いだ。その人物の顔を見た瞬間、心臓が跳ねた。

「荒北くん……?」

 荒北くんにそっくりな顔をした人が私を見て笑った。

「――やっと、見つけた」
「っ――!!」

 耳元でささやかれた声に飛び起きて周囲を見渡す。荒北くんはすやすやと眠っている。……今の夢、一体何だったんだろう。夢から覚めた後も体の震えが止まらない。
 ……なんだか気分が悪い。私も休むことにしよう。

「おやすみ、荒北くん」

 隣のベッドで横になって、目を閉じる。眠りにつくまでの間、野球の試合中に野次を飛ばされる孤独な荒北くんの姿が頭から焼き付いて離れなかった……。