会えない日々が続く前に
改札を出ると、コーヒーショップの前に靖友くんの姿を見つけた。駆け足で彼のもとに行く。
「待たせてゴメンねっ」
「。もう来たのかよ」
「だって、ちょっと早めに来たら靖友くんがいて……ってあれっ?」
腕時計を見ると、待ち合わせの時間より十五分も早い。電車の遅延とかがあったら大変だから私は余裕を持ってきたものの、靖友くんはもう少しゆっくり来てもよかったはずだ。
「……もしかして靖友くん、時間間違えた?」
「ちげーよ!! に早く会いたくて来たんだっつーの!!」
なんだ、そういうことか。真っ赤な顔をして怒る靖友くんにつられて私も照れてしまう。
「まぁ、なんだ。遅刻するよかはいーだろ」
ぶっきらぼうに言った靖友くんが私の手に指を絡める。
「行くぞ」
「うん」
手をつないだまま、駅を出て桜舞い散る道を歩く。少し前までは慣れなかった手つなぎも、今ではこうして自然にできるようになった。
「……なぁ、。今日はオレんち泊まるんだよな?」
「そうだよ」
「……そっか」
つないだ手に、ちょっとだけ力が加わった。
箱根学園を卒業して四月二日になった今日。初めて、一人暮らしの靖友くんの家に訪れる。
駅から十分ほど歩いたところで靖友くんがアパートの家の前で立ち止まった。ポケットの中から鍵を取り出して家の鍵を開ける。
「昨日引っ越したばかりで全然片付いてねェけどよ、そこら辺はガマンしてくれ。……あと、ベッドの下は何もねェからなっ!」
前に靖友くんのベッドの下を調べたこと、いまだに根に持っているようだ……。忠告しなくても見ないのに。……たぶん。
靖友くんに続いて家の中に入る。一人暮らしの靖友くんの家はワンルームだ。短い廊下を挟んで、部屋にはパイプベッドやローラック、液晶テレビなどが並んでいて、中に物が入ったままのダンボールが所々にある。
……好きな人の部屋に来たんだ。個性が見え隠れするインテリアを見て、少しずつ緊張してきた。
キョロキョロしていると、掛け時計に目がついた。……そうだ。ここでゆっくりしている場合じゃない。バッグの中からタウン情報誌を取り出す。
「靖友くんは今日どこか行きたいところある?」
今日は靖友くんの誕生日だ。可能な限り靖友くんの要望を聞いて今日一日を記憶に残るいい一日にしたい。
最初は自分で計画立てようって思ったんだけど、靖友くんが行きたがりたそうな場所ってあんまり想像つかなくて……。また駅に戻ることになっちゃうけれど数駅先には猫カフェがあるし、大型のバッティングセンターだってある。靖友くんが行きたい場所を挙げてくれれば、どこにだって連れていってあげよう。そう思っていたんだけど……
「オレは……」
靖友くんは一拍置いた後、
「どこにも行きたくねェ」
予想外の答えに、呆然としてしまった。
も、もしかして今日は、昨日に引き続き荷物の整理をしたいのだろうか。面倒くさがり屋な靖友くんのことだから、単に出かけたくないのかもしれない……。そしたら今日は料理を作ってあげることにして……。うぅ、でも、なに作ってあげたらいいんだろう。そもそもフライパンとかあるのだろうか……。調理器具の有無によって作る料理も考えなきゃいけない。
考えに沈んだ時、額に激痛が走る。靖友くんにデコピンされた……。
「オレの誕生日だからって気ィ使うこたぁねーよ」
「で、でも……」
「今日は一日、とずっと一緒にいられたらいい。それ以外に望むことなんてねーよ」
照れくさそうに言う靖友くん。そんなことを言われたら、このまま家デートでもいいかもしれないって思ってしまう……。
…………いやいや! それじゃあいつもと変わらない! やっぱり、靖友くんの誕生日だし、なにか特別なことがしたい……!
「ねぇ、靖友くん」
靖友くんになにかできることはないだろうか。急いで考えて、思いついたことを口にする。
「私になにかしてほしいことはない?」
「ハァ!?」
今度は靖友くんが驚いた。なぜか顔が真っ赤になっている。
「なにかってなんだヨ!」
「たとえば……荷物の整理の手伝いとか、掃除とか……」
靖友くんがあきれて、みるみるうちに顔色が元に戻っていく。やがてばつが悪そうに顔を手で抑えた。
「エロいこと想像しちまったじゃねェか……」
「なんか言った?」
「なんも言ってねェよ!!!!」
今日は靖友くんがよく怒る日だ。笑って流していると、靖友くんがベッドを指さす。
「とりあえずそこに座れ。話はそれからだ」
靖友くんの言葉に疑問符を浮かべる。……これからお説教でもされるのだろうか。
なでなで。
なでなで。
「あの……」
「なんだ?」
「私をなでても、猫の代わりにはならないと思うよ?」
私の頭をなでる手がぴたりと止まる。
言われたとおりにベッドの上に座ると、靖友くんが私の後ろにまわる。そして、私の頭をなで始めたのだ。
「わかってるっつーの。全然別モンだろ」
当たり前のように言って、再び私の頭をなでるのだった。
……別に嫌なわけじゃない。嫌なわけじゃないけど、こんなことをされるのはちょっと恥ずかしい……。
そんなことを思っているうちに今度は私の髪の毛を指に巻きつけてみたり、梳いてみたり、挙げ句の果てには頬をつっついたり、つまんできたり……。……なんだか複雑な気持ちになってきたぞ。
なんでもすると言った以上さっき言った言葉を撤回するわけにもいかず、諦めて部屋の周囲を見渡す。
部屋にふたりっきり。今までこういうシチュエーションは何度もあったけれど、こうしてスキンシップされている今、妙に意識してしまう。
このまま靖友くんは私で遊ぶつもりなのだろうか。心臓の音が少しずつ大きくなってきた時、靖友くんにぎゅうっと抱きしめられた。
「靖友くん……」
「もっとに触りてェ」
靖友くんが私のうなじに顔をうずめる。ひんやりとした感触に、おもわず背中を反らしてしまう。
「靖友くん……!」
靖友くんはうなじに顔をうずめたまま、肌に吸い付いている。初めての感覚にどうしたらいいかわからず、顔が熱くなるのを感じながら靖友くんの気が済むのを待っていた。
「結構きれいにつくもんだな」
やっと顔を離した靖友くんが、いたずらめいた笑みを浮かべる。
首を巡らしても全然見えないけれど、靖友くんが唇を這わせたところには口づけの痕が残っているのだろう。そう思ったら熱くなった顔がさらに熱を帯びた。
「まだ終わってねェからな。そのままじっとしてろ」
靖友くんがぎゅうっと抱きしめて、私の肩に顔をうずめる。
また口づけをするつもりなのだろうか。そう思っていると、くすぐったい吐息が肩にかかった。はしたない声を出さないように、ぎゅっと口をつぐむ。
「クンクン、クンクン」
「ま、待って!!」
靖友くんから離れようとするものの、がっちり抱きしめられていて逃げることができない。仕方ないので声を上げて抵抗する。
「なんかそういうのすごく恥ずかしいっていうか……!」
「なんだよ。なんでもオレの言うこと聞くんじゃなかったのかァ?」
意地悪そうな顔で笑う靖友くん。たしかになんでもするって言ったけれど、こんなことをされるとは思わなくて……。
抵抗する気力がなくなった私を見て、靖友くんは私の体を抱き寄せた。
肩から胸元へ手が滑り、太ももに移る。
スカートの中に手を入れて、太ももをなで始めた。
「んっ……」
太ももの内側をなでられて、みだらな気持ちになってしまう。
前に似たようなことがあった時、靖友くんは次は抑えられないと言っていた。
今日は靖友くんの家に泊まる。だから、ここに来る前から覚悟はしていた。でも、こういうのは夜にするものだと思っていたから今は心の準備が全然できてなくて……。
肩にかかる靖友くんの息が荒い。下着に手を触れられそうになった時、声を上げずにはいられなかった。
「待って! まだ、心の準備が……!」
「こっちはまだ早ェか」
靖友くんが、私の太ももから手を離す。安堵したのもつかの間、今度は両手で胸をつかんだ。
支えるように下からつかんだ胸を、そのまま揉みしだこうとして――その時、
ピンポーン。軽快なチャイム音が鳴り響いた。
「お届けものでーす」
玄関のドアの向こうには宅配便の人がいるのだろう。
「ほら、行かなきゃダメだよ」
靖友くんの手をつかんで、胸から手を離す。
「……そういや、今日福チャンがなんか送ってくれるっつってたな」
「前にも似たようなことがあったような……」ぶつぶつ言った靖友くんが、ベッドから下りて玄関に向かい、宅配便の人とやり取りをする。
宅配便の人が来てよかった……。このまま邪魔が入らなかったら私、靖友くんに……。想像したら恥ずかしくなってきた。すぐ近くにあったクッションを手に取ってぎゅっと抱える。
「福チャンにうまそうなケーキもらった。後で一緒に食おうぜ」
帰ってきた靖友くんと視線がぶつかる。私を見た瞬間、靖友くんの顔が真っ赤になった。たぶん、私も同じくらいに真っ赤になっている。
「……わ、悪かったな。最初はそうするつもりじゃなかったんだけどよ、なにやっても抵抗しねェからムラッときて……」
たまらずクッションに顔をうずめる。
こういうとき人はどうすればいいのだろう……! 続けていいよって言ったらいやらしい人に思われちゃいそうだし、でも嫌だって言うと靖友くんに嫌われちゃいそうだし……。
「しくしくしく……」
「な、泣くなヨ! そんなにオレに触られるのが嫌だったのかよ!」
「別に、そういうわけじゃないけど……」
なんて言えばいいんだろう。しっくりくる言葉を探していると、靖友くんが先に口を開いた。
「オレのこと自由に触れ。これがけじめだ」
ぽかんと口が開いてしまう。はたしてそれはけじめになるのだろうか……。
目を閉じる靖友くんの前に向かい合わせに座る。自由に触っていいって言われたけどどうしよう……。迷った末に私は靖友くんの頭に手を伸ばした。
さっき彼がやっていたように優しくなでてみる。靖友くんは目を閉じたままだけど、どこか気持ちよさそうだ。
「なでられるの好き?」
「別に、そんなこたぁねーよ」
「そう? じゃあ別の場所触るけど……」
手をひっこめようとすると、目を開けた靖友くんに手首をつかまれた。
「好きにしていいっつったろ」
そう言って、自分の頭に手を伸ばす。
靖友くんは強がっているけれど、やっぱりなでられるのが好きみたいだ。笑って、靖友くんの頭を優しくなでる。こうやってみるとまるで猫みたいだ。
「……にゃーって鳴いても」
「鳴かねェよ!!!!」
靖友くんを怒らせてしまった。
気を取り直して靖友くんの頬に触れてみる。さっきあんなに怒ってたり顔を真っ赤にしていたのに、頬はほんのりと冷たい。試しに、頬をつまんでみる。思ったよりあまりつまめなくておもしろくなかった。諦めて指でつっついてみる。結果は似たようなものだ。
靖友くんは律儀に目を閉じている。こうやって見ると下まつげが長くてちょっぴりうらやましい。あと、私が靖友くんのことを好きなせいもあると思うけれど、目を閉じている彼の顔は整って見える。普段歯茎出したりとかしなければ、もっとカッコよく見えるのに。……でも、そんな不器用なところも含めて、私は靖友くんのことが好きだ。
靖友くんの唇が目に入った。人さし指でそっと触れてみる。いつもキスしているのに、急に恥ずかしくなってすぐに指を離した。
靖友くんはいまだに目を閉じている。さっき太ももを触られた仕返しに……彼の肩に手を添えて、顔を近づけて――一瞬だけキスをした。
顔を離すと、靖友くんは唇を震わせた。私の体に向かって手を伸ばして、すぐに下ろす。
「オレは絶対に負けねェからな」
意味がわからないことを言って、次の手を待つ靖友くん。……そう言われると勝ちたくなってきた。ここからじっくり攻め落とそう。
靖友くんの肩に顔を埋めて、においを嗅いでみる。ほんのりとシャンプーの香りがした。出かける前にシャワーでも浴びたのだろうか。気がつけば靖友くんの口元が緩んでいる。
「ハッ、変態かよ」
「靖友くんに言われたくない!!」
怒って靖友くんの胸ぐらをつかむ。「わ、悪かったヨ……」靖友くんは気まずそうに目を伏せて、また目を閉じた。
……うぅ、仕返しのつもりでやったけど、たしかにちょっと変態だったかも……。真っ赤になりながら靖友くんの胸元に視線を落とす。
今日の服は随分胸元が空いた服だ。第三ボタンまで開けてるけど寒くないのかな……? っていうか、他の人に靖友くんのこんな格好は見せたくないなぁ……。
胸元に手を伸ばすと、靖友くんの体がびくりと震えた。そのままボタンを一個、二個と順番にとめていく。
「……なにやってんだよ」
「ボタン、閉めといた方がいいかなって思って」
「……なんだよ。オレはてっきり、襲うのかと思ってヨ……」
靖友くんが口をもごもごさせている。いちいち構っていると面倒なので放っておこう。靖友くんの手に触れる。
「手なんて時々触ってるだろ」
「あれは手つないでいるときだし。こうやって見たらまた違うかなって思って」
そっと手を重ねてみる。……私よりも一回りある、男の人らしい大きな手。よく見るとグローブの日焼け痕が残っている。この日焼けは靖友くんがたくさん自転車に乗った証だ。それを思ったら急に愛おしくなって、指を絡めてぎゅっと手をつないでみる。
「靖友くんの手、好きかも」
笑って言うと、靖友くんの唇が震えた。
「言葉責めかヨ」
そんなつもりはなかったんだけど……。強気に言った靖友くんの頬が赤く染まっている。笑いがこぼれそうになったけれど、もっと靖友くんに触れたい。笑いをこらえて次の箇所に手を伸ばす。
お腹に触れると、固い感触がした。
「もうちょっと頑張れば泉田くんみたいになれるかな」
「……お前はそれでいいのかヨ」
筋肉ムキムキになった靖友くんを想像する。「……今のままがいいや」苦笑いで答えた。
一通り触ってみたけどこれからどうしよう。太もも……は触ったら返り討ちに遭いそうだし、おもいきって変なところに触る勇気もない。……それより、こうやって色んな場所を触るよりも、もっとしたいことがある。
私は、靖友くんの背中に手をまわして――ぎゅっと抱きしめた。靖友くんの温かい体温とゆっくりと鼓動を打つ心臓の音が体に伝わってくる。いつも抱きしめられてばっかりだったからわからなかったけれど、こうやっているとすごく安心する。
耳元には靖友くんの小さな息遣いと、遠くからは掛け時計が秒針を刻む音が聞こえてくる。
このままこうしていれば、あっという間に一日が終わり、大学生活が始まれば、会えない日々が本格的に始まってしまう。その時にもしものことがあったらと思うと、不安でたまらなくなる。
気がつけば靖友くんの背中にまわした手に力が入っていて。彼のシャツをぎゅっとつかんでいた。
「靖友くん」
靖友くんを抱きしめたまま言葉を紡ぐ。
もし、さっきの続きをしていいよって言ったら靖友くんはどんな顔をするのだろう。はしたない女の子だって思われたらどうしよう……。でも、もうキスだけじゃ物足りない。会えない日々が続く前に……靖友くんと、もっと深く結ばれたい。
「さっきの続き、してほしいなって――」
視界が突然ひっくり返った。
背中にはふかふかとした布団の感触。前には、私を押し倒した靖友くんがいる。
「ダメだ、もうガマンできねェ」
靖友くんの目はギラギラとしていた。
まるで、ゴールを前にしたときによく浮かべる表情。飢えた野獣の二つ名を思い出したら、すぐに食べられてしまいそうな気がした。
「なぁ、。もうそろそろいいか? オレ、もう耐えらんねェ。これからと会えない日々が続くと思うと……不安でたまらなくなる」
靖友くんは遠回しに言ったけれど。これからなにをするのかは私にだってわかる。
「痛いかもしんないけどよ。オレはが欲しい。は……」
「私も、靖友くんが欲しい。初めてだからうまくできないかもしれないけれど」
「バァカ。オレも初めてだっつーの」
靖友くんと見つめ合う。
「……愛してンぜ、」
「私も、靖友くんのこと愛してる」
靖友くんの顔がゆっくりと近づいて、長い口づけをする。口づけが終わると、靖友くんの手が私の服の裾に伸びて、一枚一枚ゆっくりと服を脱がしていく。脱がされた服はするりと床に落ちて、次第に肌があらわになっていく。
十九歳の靖友くんの誕生日。ここで私は初めての大きな経験をする。体が火照っていくのを感じながら、靖友くんに体を委ねた。