3.5

 休みが明けて、退屈な一週間が再び始まる。荒北靖友は机の上で腕を枕にして顔を伏せ、目を閉じていた。

「今日転校生が来るんだってー」
「どんな子かな。もしかしてカッコいい男の子だったりしてー」

 ハッ、バカバカしい。たまたま耳にした女子たちの会話に、荒北は心の中で笑い飛ばした。
 転校生が来るとしたら、自分の前にある空席に座るのだろう。だが荒北は転校生になど興味はない。今日の授業ダリィなぁなど、そういったことばかりが頭に浮かぶ。
 女子たちの声が聞こえなくなり、代わりにドタバタとした足音が聞こえるようになった。顔を上げると担任が教室に入ってきた。日直の号令に合わせて起立・礼・着席。面倒くさいことをこなすと、担任が教卓に手をついた。

「早速ですが、今日は皆さんに転校生を紹介します」

 わぁぁ、と小さな歓声が湧く。その中で荒北は大きなあくびをした。
 頬づえをついて、目を閉じる。月曜の朝はどうにも苦手だ。一限目が現代文の授業であればこっそり寝ていられるのに……。
 教室に誰かが入り、黒板にチョークで文字を書く音がかすかに聞こえてくる。

といいます。これからよろしくお願いします」

 転校生緊張してんなァ。たまたま目を開けた時、荒北は大きく目を見開いた。
 さっきクラスで話題になっていた転校生は、昨日荒北が落車した時に出会った人物だった。

さんの席は窓側の奥から二番目の席ね」

 担任が示した席はやはり荒北の前にある空席だった。が自分の席に向かっている最中、荒北に気がついた。

「あの、もしかして昨日――」

 バカ! 話しかけんな! 口には出さずにキッとをにらむ。
 は困惑して、荒北に声をかけるのをやめておとなしく自分の席についた。
 許せよ転校生。これはお前のためでもあるんだぞ。荒北はもう一度目を閉じて、授業の開始を待った。


 放課後、部室の更衣室で制服からサイクルジャージに着替えていると、隣に新開が並んだ。

「よっ、靖友」
「あぁ新開。オメーに聞きたいことがあるんだけど」
「うん? なんだい?」

 新開がブレザーを脱ぎ、ワイシャツのボタンを上から順に外していく。

「今日転校してきたってヤツ……もしかして福チャンやお前の女じゃないよな?」

 午後の授業中、ふと気になった。昼休み、福富を昼食に誘うと「今日は先約がある」と言われて断られてしまった。理由を聞けば、あの転校生と新開との三人で昼食を食べるというのだ。の話を聞く限り、どうやら福富とは知り合いのようだが、もしかして特別な関係なのだろうか……?
 新開ならともかく、あの鉄仮面に特定の女がいるとは考えられない。……いや、でも、案外いるかもしれない。鉄仮面が女といるところはあまり見たことがない。そのことを考えると、が彼女でもおかしくはない。
 そうして疑惑が募り、ちょうどいいところに新開が来たのでおもいきって聞いてみた。無言の新開に、荒北はおそるおそる顔をのぞきこむ。新開の肩がぷるぷると震え、

「ははははっ! 違うよ靖友っ。は寿一にとってはお隣さんの幼なじみ。オレにとっては寿一つながりの友達さ。だから靖友、に一目惚れしたのなら気を遣うことは――」
「ちげェよバーカ!」

 ただ、鉄仮面の彼女ならそこそこ気を遣おうとしただけなのに。よりによって好かれていると思われてしまった。

はいい子だよ。優しくしてやってくれ」
「だから違うっつーの。福チャンと一緒にいりゃ、そう思うだろ」
「そういえば寿一が女の子と話しているのあんまり見たことないなぁ。幼なじみだし、将来と結婚したりして」

 タキシード姿の福富を想像したら笑いがこみ上げてきた。慌てて口元を手で押さえる。
 。昨日の走りを見る限りロードレースに向いているとは思えないが、かといって初心者にも見えない。レースに何度か出場しているのだろうか……。

「……アイツ、自転車には乗るのか?」
「ん? が自転車乗るってよくわかったな」
「福チャンやお前つながりだし、自転車乗りそうなニオイがしたんだヨ」

 まさか昨日こっそり自主練習していた時に落車して会いましたなどと言えるわけがない。荒北は適当な言葉を並べて濁した。

「趣味で乗るくらいだけどね。中学の時はたまにオレや寿一と一緒に走ってたし、土日には近くのサイクリングロードに行って一人で走ってたよ。……そういえばあのサイクリングロード随分行ってないなぁ。今度久しぶりに行ってみようかな」
「行くな! あそこライバル校の選手がちらほら走ってるってうわさだぜ。偵察されっぞ」

 もし新開とサイクリングロードでばったり会ってしまえば、一人で練習していることがバレてしまう。
 バレてものように口止めすればいいだけの話なのだが、影で努力をしている荒北にとってはそれを知られることすら気恥ずかしいことだ。嘘の言葉を並べて、新開がサイクリングロードに行かないように釘を刺す。

「それは困るなぁ」

 新開は苦笑しながらワイシャツを脱いだ。荒北は床に片膝をつけて運動靴からビンディングシューズに履き替える。
 靴を履き替えている間も、のことを考える。もうひとつ、にはほのかな既視感がする。昔会った誰かに似ているのだが、モヤがかかっていて思い出せない。と被って見えるのは一体――

「おはよう諸君!!」

 威勢のいいあいさつと共に更衣室のドアが開く。ドアを開けたのは東堂。相変わらず今日もうるさいヤツだ。

「おはよう尽八」
「部活始まる前からウゼェ」
「なんだとーっ!?」

 荒北と東堂が口喧嘩を始める。新開は仲裁に入ることもなく、穏やかに笑ったままサイクルジャージに着替えていく。
 先ほど感じたささいな疑問。東堂と口論をしているうちに、荒北の頭からは霧散してしまった。