55.5

 夜、春休みの宿題をやっていると机の上に置いた携帯が鳴った。筆記用具を置いて携帯を確認すると、着信は靖友からだ。
 ――荒北靖友。中学の頃にバッテリーを組んで、二年の夏肘の故障をきっかけにケンカ別れして、後に仲直りした大切な旧友だ。
 靖友が電話してくるなんて珍しい。前に電話してくれたの、冬のあの日だっけ……。一体どうしたんだろう。不思議に思いながら電話に出る。

「はい、もしもし」
『もしもし南雲ォ? オレだけど』
「靖友が電話してくるなんて珍しいね。どうしたの?」
『笑わずに教えてほしいんだケド。……女とその、デートするときどこに行きゃあいいんだ?』
「ん?」

 とっさに疑問形で返してしまった。だって、靖友からこういう類の話をされる日が来るとは思わなかったんだ。
 言った後で、前に靖友が教えてくれた箱学のマネージャーさんのことを思い出す。たしか名前はさんって言ってたっけ。

「そっかぁ。さんとかぁ……」

 二人がデートする光景を思い浮かべるとなんだか微笑ましい。おもわず笑ってしまったら突然電話が切られた。ボタンをすばやく操作して、靖友の携帯にリダイヤル。

『テメッ、笑うなっつっただろっ!! オマエなら笑わないと思って相談したのに!』
「ゴメンゴメン。でも、デートってまさか靖友、マネージャーさんと付き合ったの?」
『付き合っちゃいねェよ。けど、オレもアイツもお互いに好きなことはたしかだ』
「じゃあ付き合えばいいのに」
『そういうワケにはいかねーんだよ。今、オレとアイツには同じ目標がある。それまでは付き合わないって決めた』
「……そっか」

 高校生になってやっと恋をしたものの、やっぱり靖友は靖友だ。不器用で、でも夢に向かってひたむきに頑張る姿勢は昔から変わらない。

『ま、オレの誕生日には一日免除する予定だけどよ』
「それでデートかぁ」

 ようやく点と点がつながった。靖友の誕生日は明後日の四月二日だ。その日にさんとデートをするのだろう。

『で、どこに連れてきゃあいいんだ?』
「思ったんだけどボクさ、彼女いないんだよね。そういうのって同じ学校のモテそうな人に聞いた方が早いんじゃ……」
『東堂は論外。新開は妙に鋭いところあっから相談しにくいし……。福チャンは……相談しても無駄だろうなァ。っつーわけで、南雲が一番適任なんだよ』
「あはは……」

 そう言われてもなぁ。大して恋愛経験もないボクが、当日靖友とさんが二人で楽しめそうなデートスポットなんて提案できるだろうか。
 せっかくの靖友の頼みを無下にするわけにもいかないので、ない頭を絞って考えてみる。

「たとえば、定番の映画とか」
『今なにかおもしろい映画、やってたっけ?』
「うーん……。今パソコンで調べてみたけれどどれもいまいちだね。ここはジャンルで絞って、恋愛映画なんてどう?」
『恋愛映画だぁ? すぐに寝ちまいそうだな』
「…………」

 彼の言うとおり、恋愛映画を見た日には途中で靖友が寝そうだからダメだ。映画の案は却下ということで、また次の案を考える。

「水族館は?」
『魚見てなにが楽しいんだよ。帰り寿司屋行きたくなりそうだな』
「じゃあ遊園地」
『メンドクセー。今春休みだしガキが一番多い時期じゃねェか』
「どの時期でも多いと思うけど……。じゃあ、桜の時期だしお花見」
『二人で花見って寂しくねェか?』

 携帯を持つ手がぷるぷると震える。

「靖友さぁ、本気でデートする気あるの?」
『わ、ワリィ……』

 受話口から靖友の狼狽した声が聞こえる。靖友もわがままな自覚はあるのだろう。
 椅子の背もたれに背中を預けて小さくうなる。映画も水族館も遊園地も花見もダメな靖友にお勧めできるデートスポット……。今まで、靖友は色恋沙汰から縁遠い生活を送ってきたから正直あんまりイメージが湧かないんだよなぁ。
 逆に、靖友が素で楽しめる場所といえば……

「じゃあさ、ここはひとつ、靖友の思い出の場所巡りにしたらどう? 横浜にあるバッティングセンターとか覚えてる? あそこに二人で一緒に行ってみるとかさ」
『あー……いいと思うケド、アイツ退屈しねェかな』
「靖友と一緒なら、さんも喜んでくれると思うよ。一応、靖友の誕生日だから場所の主導権は君が握ってもいいと思うし」
『そっ、そっかぁ? それならそうすっけどヨ……。……あ、でも、そしたらどこでメシを食えばいいんだ? 野球部の時よく行ったラーメン屋にアイツ連れてくわけには行かないし……』
「それなら、そのラーメン屋の近くにお洒落な喫茶店があるんだ。穴場だし、料理もおいしいし、時々総北の――」
『そこの店名教えてくれっ! オマエがうまいっつうくらいだからきっと大丈夫だろ』
「はいはい」

 靖友に遮られて喫茶店の説明が全部できなかったけれどまぁいっか。ボクが店名を言うと、受話口からペンを動かす音が聞こえた。


 思いつく限りの案を言うと、受話口から聞こえるペンの音が止まった。靖友がふぅと息をつく。

『サンキュ。これならアイツも喜ぶかな』
「楽しみだね。なんなら、当日ついてってあげようか?」
『ついてくんなバーカ』
「あはは」
『本当にありがとな、南雲。……今度、空いている日教えろよ。礼に東家のラーメンおごってやる』
「そう言って、靖友が東家行きたいだけじゃないか。まぁいいや、予定がわかったらすぐに連絡するよ。じゃあ」

 そっと通話終了ボタンを押して、携帯を閉じる。
 カーテンを開けて窓を見る。今日の月は満月の一歩手前。靖友が誕生日を迎える頃にはきれいな満月が見られるだろう。
 ……いつか、靖友のいないところでさんと一緒になった時、ボクは彼女に伝えたい言葉がある。――靖友を守ってくれてありがとう。
 中学の時ボクは靖友の腕の不調に気づくことができず、彼の投手としての道を絶たせてしまった。
 高校で色んな人に出会い、自転車の道を歩く靖友に残酷な出来事が起こった。それは、箱根学園の旧校舎のフェンスの落下事故だ。あの時怪我をしそうになった靖友を、さんが身をていして庇ってくれたという。
 さんが怪我をしたから、結果的にはいいことじゃない。でも、せっかく新しい道を歩んだ靖友が、怪我という形で選手生命を絶たれると思うと……想像するだけでとても怖い。靖友にあんな思いはもう二度としてほしくなかった。
 靖友からその話を聞いた時、ボクはいつの日かその言葉を伝えたいと思った。いつそんな日が来るかわからないし、さんにとってはボクのためではなく、靖友を思ってやったことだけど……。ボクが守りきれなかったものを、さんはその手で守りきってくれた。だからボクは、ここまで来た靖友とさんのことを心から応援したいのだ。

「デート、うまくいくといいな」

 中学の頃恋も知らなかった旧友が、一歩進んでどんどん大人になっていく。不器用な旧友の幸せを願いながら、金色に輝くきれいな月を見上げた。