栄光のサクリファイス 92.5話

 夏休みがあと残りわずかになった頃。久しぶりに福富くんたちと顔を合わせて勉強会をすることになった私は、ファミレスに訪れた。店員さんに先客がいることを伝えて奥に進むと、テーブル席には福富くんと新開くん、東堂くんの姿があった。

「あれ、荒北くんは?」
「靖友ならもうちょっと後で来るってさ。ここに来る途中、タイヤがパンクしたんだと」
「その手に持っているのは何だ?」
「織田くんの差し入れのパワーバー。ここに来る途中、織田くんに会って……休憩中に、みんなで食べてくださいって」
「……荒北に黙って食べさせよう。遅刻した罰だ」
「そうだね。それがいい」

 東堂くんの意見に賛成した私は、福富くんの隣に座る。テーブルに視線を向けると、各々の教科書やノート、食べかけのアップルパイやパフェなどが並んでいた。

「東堂はインハイが終わった後夏休みをどう過ごしていた?」
「オレ? オレは実家に帰っていたよ。久しぶりに両親や麗子の顔を見て……そうだ、そういえばひとつ気になることがあった!」

 両手を叩いて声を上げる東堂くん。ウエイトレスさんが私の分のお水を持ってきてくれて、グラスに口をつけた時だった。

「麗子……オレの姉が、やたらと荒北の話を聞くのだ!」
「げほっ、ごほっ!!」
「どうしたちゃん!?」

 東堂くんに「大丈夫」と手でジェスチャーして、胸を抑えて咳き込む。麗子さん、東堂くんに荒北くんのことは聞かないでって言ったのに!!
 テーブルに置いたパワーバーの袋をぎゅっとつかんで立ち上がる。

「どうした、? パワーバーを片手に持って」
「東堂くんのお姉さんにお中元をプレゼントしようかなって思って」
「眉間にシワが寄っているぞ、ちゃん」
「知らないのかい、尽八? は靖友のことが――ふごっ!!?」

 新開くんの口の中に、織田くん特製パワーバーを三本突っ込む。青い顔をした新開くんが、テーブルに突っ伏して倒れた。
 一瞬のやり取りが見えなかったであろう東堂くんが、立ち上がって狼狽する。

「ど、どうした新開っ」
「ダメだよ新開くん。パワーバーはほどほどにしなきゃ」
「なんだ、食い過ぎか」

 だからあれほど偏食はダメだと言ったのに。私の言ったことをそのまま鵜呑みにした東堂くんがソファに座り直す。

「話を元に戻すが、これはうちの姉が、荒北に気があるということなのだろうか!?」
「いやいや、それはないよ」
「もしかしたらこのまま、麗子が荒北のもとに嫁いでって……そしたらオレはアイツのことを兄さんって呼ばなきゃいけないのかっ!? ならん、ならんよそれは! そんなことになったらオレは東堂の姓を捨てる!」

 一人で勝手に妄想を膨らませて、頭を抱える東堂くん。このままふさぎ込むかと思いきや、顔を上げては私を見て、

ちゃん! 全力で食い止めるぞっ!!」
「なんで私っ」

 このやり取りにデジャブがするのはなんでだろう。
 あきれて隣を見ると、無言で席を立つ福富くん。いつの間にかアップルパイを平らげて、広げていたノートをバッグの中にしまっている。

「福富くん……?」
「荒北と一対一で話をする。勉強会はオレ抜きでやってくれ」

 いつもと変わらず無表情だけど、私にはわかる。福富くんは怒っているのだ……! たぶん、荒北くんが浮気していると勘違いしたのだろう。

「ま、待って福富くんっ。確実に勘違いしてるっ」
「勘違いなどしているものか。まさか、アイツがそういうことをするヤツだとは思わなかった」

 に嫌な思いをさせた以上、徹底的に叩きのめす。私にしか聞こえない音量で、福富くんははっきりと言った。

「だから止めるな、!」
「わー!! 待って福富くんっっ!!」

 走る福富くんを全力で追いかける。お店の外に出ると、駐輪場でチェレステカラーの自転車から降りる一人の男子学生の姿が見えた。
 こちらに気がついた荒北くんが、驚いた顔をする。

「福チャンに。どうした、わざわざオレの出迎えなんて――」
「荒北くん逃げてぇえぇえ!!」
「荒北、覚悟ーっ!!」

 ◆

 息を切らしながらペダルを踏み、坂を登っていく。
 頂上まであともう少し。最後の激坂を登りきれば完全登坂ができたのだが、悲鳴を上げる足に耐え切れず、真波山岳は地に足をつけてしまった。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 己の力不足を痛感し、ハンドルにもたれうつむく。少し前までは楽々と坂が登れたのに、今ではこのザマだ。
 インターハイから何週間も経った。最後のゴールスプリントで小野田坂道に僅差で負けてしまったが、いつまでもくよくよしてはいられない。部活に積極的に参加し、最近はサボりがちだった登坂も、登らなければ実力が落ちると自分に言い聞かせて、必死に練習を積み重ねていた。
 ――だが、以前に比べて坂が登れない。足が鉛のように重くなっては、すぐに地に足をつけてしまうのだ。
 初めて完全登坂した喜びを感じたこの峠なら、いつもの調子が取り戻せると思っていた。だが、実際に登ってみると以前とあまり変わらない。逆に、あんなに好きだった登坂を苦痛に感じてしまった。汗を生ぬるい温度に冷やす嫌な風。いくらペダルを踏んでも変わらない景色。今まで、自分のやってきたことはなんだったんだろうとさえ思ってしまった。

「なんで……こうなっちゃったんだろう」

 コンクリートに一滴の雫が滴り落ちる。
 インハイが終わってから、真波の背中にある翼が広がることは一度もない。