栄光のサクリファイス 102.5話

「後生だ。オレをここで働かせてくれ」

 とある日の日曜日の午後。大して広くはない従業員室の中で、荒北が金城に向かって深く頭を下げた。
 ウエイター姿の金城が顎に手を添えて思案する。店に入って金城の姿を見つけるなり開口一番に働かせてくれと言った時には気の迷いかと思ったが、どうやら深い事情がありそうだ。

「どうした荒北。そんなに金に困ってるのか?」
「別にそんなワケじゃねーけど」

 言いにくい事情でもあるのか、顔を上げて視線を彷徨わせる荒北。

「と、とりあえず入用なんだ。期間は今月いっぱいで土日しか入れねーけど、その分全力で仕事する。あと、このことは……福チャンたちには絶対に内緒だ」
「なにかやましいことでもあるのか?」
「オレがこんな所で働いてるって知ったら、アイツらぜってー冷やかしに来るに決まってんだろ!! ……な、とにかく頼む」

 両手を合わせて懇願する荒北に金城は折れた。まぁ、最近客が増えてきたし、ちょうど人手が欲しいところだったからいいだろう。
 普段気性が激しい荒北にはたして接客業ができるのか最初は不安に思っていたが、金城が恐れた最悪の事態になることはなく、荒北はそれなりにうまく仕事をこなしていた。接客面ではあまりいい評価はできないが、この前行われたブレンドコーヒーの改良に荒北は大きく貢献してくれた。
 「コレ、味濃すぎだよ」「匂いからして飲む気失せる」「この味は好きだぜ」歯に衣を着せぬ感想に、マスターがムキになって改良を重ねると素晴らしいブレンドコーヒーが完成した。荒北の舌を唸らせたコーヒーを店に出すと評判はうなぎ登り。この前来た客が「この町で一番うまいコーヒーだ」と言っていたことが記憶に新しい。
 荒北がバイトを初めて数週間経った頃、皿洗いをしていた金城は、隣で同じ仕事をやっている荒北に問うた。

「で、荒北はなぜ金が必要なんだ?」
「……世話になったヤツにプレゼントがしてーんだよ。なにをあげるかもまだ決まってねーけど」
「小遣いの範囲でどうにかできなかったのか?」
「そうした方が楽なのはわかっちゃいるけどよ、なんか違うだろそういうの。それに自転車やってると色々と金がかかる。だからオレはここで働いてんだ」
「ははっ」
「んだよ!?」
「いいや、意外に純粋だなと思って」
「ンだこら、ケンカ売ってんのか!?」

 怒る荒北の横で、金城が眼鏡を外し笑い涙を拭う。「尽くすタイプなんだな」率直に思ったことを口にすると、「ちげーよ」と荒北は否定した。

「アイツの方がオレに尽くしてくれた。手伝ってもらってばっかで、気がついたらオレはアイツに何もあげてねーんだ」

 神妙につぶやく荒北に、金城は異性へのプレゼントなのだと推測する。だからここでバイトしたいと言ってきたのか……。全てのピースがつながった時、自然と笑みがこぼれた。

「暴露ついでに聞くけどよ、もらってうれしいものってなんだ?」
「それは人によるな。巻島だとグラビア、田所だと食い物。……女性なら、アクセサリーなんてどうだ?」
「アクセサリーつったってネックレスに指輪に色々あんだろ。それに、好みもあるだろうし。どれ選べばいいのかなんてわかんねーよ」

 「あー、人にあげるモンにこんなに迷うのは初めてだ」悩みながら食器を洗う荒北に金城は思う。荒北がどういう物を贈るにしろ、彼女はきっと喜ぶはずだ。荒北のその真心こそが、なによりも心に響くからだ。


 ――一週間後。バイト帰りに雑貨屋に寄った荒北は、真剣な表情で店内をまわっては興味を惹かれた物に手を取っていた。
 今持っているのは猫のヘアピン。男の自分としてはどういう用途で使うのかよくわからないものだが、派手すぎないデザインで日常使いしやすそうなヘアピンだ。
 これだったらも喜んでくれるかもしれない。だいぶ予算が下回ってしまったが、予算に合わせてプレゼントを買うよりは使ってくれそうな物をプレゼントした方が喜ぶだろう。それを手に持ってレジに行こうとするが――

『ありがとう荒北くん。これ、早速明日から着けるね』

 翌日学校に行ったとき、猫のヘアピンを使っているの姿を想像する――

「嫌なわけじゃねーけど……なんか恥ずかしいだろ、それ」

 独り言をつぶやいて、ヘアピンをそっと元の位置に戻す荒北。
 決してヘアピンを身に着けてくれる彼女が嫌なわけじゃない。嫌なわけじゃないのだが、頭に着けているヘアピンを見るたび顔を赤らめてしまいそうな気がするのだ。高校卒業後ならともかく、今それをやられたらしばらくは彼女の顔をまともに見れなくなってしまう。
 荒北が次に行ったのは食器コーナー。ぴたりと足をとめて猫のペアマグカップを手に取る。尻尾が取っ手になっている黒猫の愛らしいデザイン。これなら学校で照れる心配もないし、使いやすいだろう。
 ……いや、でも待てよ。眉間にシワを寄せて目を閉じた荒北が再び妄想の世界に入る。

『ありがとう荒北くん。これ、私の家に一緒に置いておくね』

 そしての家に行ったとき、お揃いのマグカップを使うことを想像する――
 突然首を左右に激しく振る荒北。周囲にいた客が驚いてその場を離れる。

「新婚かっつーの!」

 半ばキレながらマグカップを元の位置に戻す。
 初めてのプレゼントがペアマグカップとはいかがなものか。人目につかないお揃いの品だとはいえ、男の自分がプレゼントするのには妙に抵抗を感じてしまう。それに、が喜ぶかどうかもわからない。そういえば以前家に行った時かわいらしいマグカップを使っていたし、仮に荒北がマグカップをプレゼントしたとして、お揃いの物を必ずしも受け入れてくれるとは限らない。「私、お揃いってちょっと苦手なの」あまり想像はできないが、彼女がそう言う可能性だってなきにしもあらず。
 途方に暮れた荒北がとぼとぼとした足取りで立ち止まったのはアクセサリーコーナー。ショーケースの中に様々な値段のペアリングが飾られている。
 以前テレビで見たことがある。お揃いの指輪を受け取った女性は、涙ぐんで喜ぶのだ。
 ショーケースの中には予算ぎりぎりのリングもある。これなら、彼女もきっと喜んでくれるはずだ。
 意を決して、近くにいる店員を呼ぼうとした時だった。

「ペアリングなんてどうだ?」
「嫌よ。結婚するならともかく、付き合ってるときにペアの指輪って結構重い」

 派手な格好をしたカップルがケラケラと笑ってアクセサリーコーナーを横目に歩く。荒北は口をつぐみ、店員に声をかけるのをやめた。
 ……そうだよな。いきなり指輪なんてプレゼントしても、アイツが喜ぶとは限らないよな……。っていうか、の指輪のサイズわからないじゃナァイ!

 こうして、雑貨屋でプレゼントを買わなかった荒北は手ぶらで箱根へ帰っていった。そして……

『前にも言ったけどボク彼女いないし、そういう類の相談されても困るって!』
「そこをなんとか考えてくれよ! オレには頼れるのがオメーしかいねーんだ!」

 ベッドに寝転んだ荒北が、電話をしている相手に向かって懇願する。かつて野球部で荒北の女房役を務め、今の電話相手の南雲は「うーん」と唸った。

『今までのことをよーく思い出してみなよ。どっかのお店に寄ったとき、さんがこれいいなーって言ってたものとかないの?』
「いきなりそんなこと言われても思い出せねェって。それに、最近は勉強ばっかでお前が思っているほど遊びに行ってねーよ」
『四月に横浜行った時とかはどう? その時、色んなお店に行ったんでしょ?』
「半年前のことなんざ細かいところまで覚えてねーよ……」

 諦めそうになった荒北が急に目を見開く。……そうだ。そういえばあの時が……。

「ワリィ南雲。急用思い出した」

 南雲の返事を待たず電話を切った荒北が、部屋を飛び出して田島の部屋のドアを乱暴にノックする。アイツの持っているタブレットなら、店の情報を調べて電話することもできるだろう。