まぶしい光を感じて目を覚ます。ぼんやりとした頭で掛け時計を見ると、時刻は八時を示している。
 今日は休日の日曜日。自転車部の活動も、日曜日は基本的に休みとなっている。
 せっかくの休日だけど、この前の新開くんの一件でなにもやる気になれない。あれから新開くんにどう接したらいいんだろうって考えてみるものの、私にはなにができるのか見当もつかなかった。
 窓越しに空を見ると、澄んだ空の青に雲が点々と見える。こんなに晴れてる日は自転車で走ったら気持ちよさそうだ。
 ……このままじっと考えても仕方がないし、愛車に乗れば答えが見つかるかな。支度を済ませ、自転車の鍵を手に取って家を飛び出した。


 家から数十分ほど自転車で走り、前にも来たサイクリングロードに訪れる。
 サイクリングロードは桜化粧からいつもの緑豊かな景色に戻っていて、自転車に乗った人たちが道を走り、道の外にある野原で遊ぶ家族連れや、川辺で釣りを楽しむ人がいた。
 自転車専用道に入って少しずつスピードを上げるものの、今日のペダルは鉛のように重く感じる。
 しばらく走っていると、後ろに長いこと自転車の気配を感じた。遅いなら追い抜いてくれればいいのに、後ろに続く自転車の音は遠くなることも近くなることもなく、一定の距離を保っている。不審に思い、後ろを振り返ると――

「ちっ、やっと気づいたか」
「あっ、あっ、荒北くんっっ!?」

 思いがけない人物が後ろにいたことに気がつき、間抜けな声を出してしまった。
 荒北くんもつられて驚いて、すぐに眉をひそめる。

「オマエのその自転車ママチャリかよ。さっきからノロノロ走ってんじゃねーよ」
「ごっ、ゴメン……」

 荒北くんが私の隣に並ぶ。

「追い抜いてくれてもよかったのに……」
「この前オレの後つけてきただろ。だからやり返した。用はそれだけだ、じゃーな」

 荒北くんがペダルを踏んで、先に行こうとする――

「待って、荒北くんっ!」

 呼び止めると荒北くんは失速した。
 荒北くんに合わせてスピードを落とし、止まった所で地に足をつける。

「今度は何だ」

 鋭い目に怯みそうになるけども、引き下がるわけにはいかない。新開くんのこと、荒北くんに相談したらなにかいい案を教えてくれるかな。


 自動販売機で荒北くんに言われたベプシと自分用のポカリを買う。
 ベンチに座っている荒北くんにベプシを渡し、少し間を開けて隣に座る。

「で、話ってなんだ」

 ベプシのふたを開けた荒北くんが促す。

「実は……新開くんのことで相談があって……」

 私は一拍置いて、新開くんのことを荒北くんに話した。


「――それで、どうしたら新開くんがもう一度自転車に乗ってくれるのかなって思って……」

 隣にいる荒北くんをちらりと見る。彼はベプシを一口飲んで、

「今アイツになにを言っても無駄だ」
「なんで……?」
「底に落ちたばっかりのヤツって、こっちがなに言っても声が聞こえねェんだよ。心の整理がつくまではな」

 荒北くんが遠くを見る。まるで昔を思い出すような寂しそうな顔に、「荒北くんも……?」と言葉が口をつきそうになる。
 たしかに、今の新開くんは罪悪感でいっぱいで、私や福富くんが自転車に乗ってほしいと言ったところで拒絶するだけだろう。

「じゃあ、どうすればいいのかな……」
「知らねーよ。第一、オマエは入部したばっかでまだなにもやってないだろ」

 荒北くんの言うとおり、私はまだなにもやっていない。
 これから私はどうするべきなのだろう。新開くんがもう一度自転車に乗りたいと言ってくれるまで、長い月日が必要になるのはわかる。
 もし、新開くんが部活に戻ってきた時、私は――

「……決めた。私、いつ新開くんが戻ってきてもいいようにマネージャーの仕事頑張ろうと思う」

 新開くんのおかげで自転車部に入ることができた。
 なら私も、新開くんが自転車部に戻ってきた時のためにマネージャーの仕事を頑張ろう。彼が戻ってきた時、万全の状態になっているように。「戻ってきてよかった」と思ってもらえるように。
 そして、新開くんが戻ってきたら、自転車に乗っていなかった時のブランクを埋める手伝いをする。

「ま、いいんじゃナァイ」

 荒北くんが立ち上がると、私に向かってなにかを投げた。キャッチして手のひらを見ると百円玉だ。

「ベプシ代」

 おごるつもりだったのに、律儀にお金を返してくれた。

「ありがとう、相談に乗ってくれて」
「バァカ。オレは何もしてねーよ。テメーが勝手に答え見つけただけだ」

 荒北くんが片手を上げて自分の自転車のもとに戻っていく。
 ベンチに置いた飲みかけのポカリは半分残っている。残りのポカリを一気に飲み干し、自転車に乗る。
 さっきよりもペダルが軽く、すがすがしい気持ちでサイクリングロードを走ることができた。


 次の日の昼休み、早めに昼食をとって飼育小屋に向かった。
 鶏小屋の前にある木箱の中をのぞくと、茶色の仔ウサギ。そっと手を伸ばして背中をなでると、ウサギは気持ちよさそうに目を細めた。

「……。コイツに会いに来てくれたのかい?」

 サラダ菜の袋を持った新開くんが隣に立つ。

「うん。……あと、新開くんにも会えるかなって思って」
「……そっか」

 新開くんが私の隣に座りウサギを見る。新開くんの横顔を見ると穏やかな微笑。……でも、その中に寂しさが入り混じっている。

「オレ、今日榛名主将に退部届けを出そうと思う。や寿一たちには申し訳ないけれど――」
「それはダメだよ、新開くん」

 新開くんの言葉を無理やり遮る。

「私、やっぱり新開くんにはもう一度自転車に乗ってほしい。今は乗れないかもしれないけれど、新開くんが乗る気になってくれる日まで、待ってる」
「でも――」
「あと、これは福富くんからの伝言。来年、福富くんが主将となって最強のチームを作る。その時、エーススプリンターの四番のゼッケンを新開くんに渡すって」
「オレが、自転車に乗るかもわからないのに……?」
「大丈夫、新開くんはもう一度自転車に乗るよ」

 根拠はある。新開くんには昔も今も変わらずに好きなものがある。

「だって、新開くんは自転車が好きだから」

 中学の時、福富くんと数多のレースを制した姿を見てきた。そんな彼に、自転車をやめてほしくない。

「ありがとう、

 新開くんの目から一筋の涙が零れる。
 ウサギは新開くんを慰めるように、彼に一番近い場所に移動し、後ろ足で立った。


 放課後を告げるチャイムと同時に教室を出る。

「オメー早すぎ。チャイムが鳴る前バッグ持ってただろ」

 教室から遅れて出てきた荒北くんが私の隣を歩く。

「えへへ。部活が待ち遠しくてつい」
「元気なこった。その様子だと、新開の件ケリがついたみたいだな」
「うん。昼休み、新開くんと話をしたよ。先は長そうだけど気長に待つよ」

 昇降口に入ると、別々の下駄箱に移動し靴を履き替える。校舎の外に出ると暖かい日差しを体に受けた。
 後ろを振り返ると、校舎から出てきた荒北くんと……いつの間にか福富くんと東堂くんがいる。

「また会ったなさんっ! この前はあいさつし損ねてしまってすまない。まさか君が自転車部のマネージャーになるとは思わなかったよ。これから二年間、よろしくな!」
「よ、よろしく……」

 東堂くんに気おされている間に、荒北くんと福富くんがすたすたと歩いていく。

「まっ、待って二人ともっ」
「今日は掃除当番だ。早く行かないと先輩に怒られてしまう」
「オメーにひとついいこと教えてやるよ。東堂の話、いちいち真面目に聞いてたら時間の無駄だぜ」
「なーっ! それは聞き捨てならんな!」

 言い合いが始まる荒北くんと東堂くんの二人をあきれながら見ていると、誰かが近づいてきた。隣を見ると、

「……新開くん」
「昼休みの時はありがとな。オレ、休部するけど時々の手伝いに行くよ」

 新開くんが眉尻を下げて笑う。退部届け、出すのやめてくれたんだ。
 休部になっちゃったけれどそれでもいい。自転車部を辞めないということは、自転車に乗りたいという気持ちがまだ残っているということなのだから。
 福富くんの方を見ると、彼の口元が少しだけ緩んでいるような。

 今日からインターハイに向けて練習が強化され、慌ただしい日々が続くだろう。来月の連休には合宿も予定されている。新開くんが戻ってくるその日まで、やることは山積みだ。
 ――私は、ここから自転車部のマネージャーとして頑張っていくのだ。