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自転車部始まって以来のインハイメンバー辞退に騒然としたままミーティングは終了した。
新開くんは誰かと言葉を交わすこともなく、部室を出る。突然の辞退にどうにも納得がいかなくて、新開くんの後を追う。
福富くんも同じことを考えていたのか、私より一歩先に部室を出た。
「福富くん!」
「……。新開に辞退の理由を聞きに行くのか?」
「うん……。やっぱり納得いかなくて」
福富くんが私に向き直る。
「新開のこと、任せてもいいか? 今のオレでは新開に本音を聞く自信がない。お前なら、新開も包み隠さず辞退の理由を話すだろう」
福富くんの表情から動揺の色が見える。
いつもポーカーフェイスな彼がここまで感情表現をあらわにするのは、きっと心の底から新開くんのことが心配なのだろう。
「うん、わかった」
力強くうなずいて、新開くんの後を追う。
「どうした、」
私に気づいた新開くんが立ち止まり振り返る。
「新開くん……。どうしてインターハイを辞退したの?」
「……寿一かが聞きにくると思ったよ。ちょっと、ついてきてくれるかい?」
新開くんの後をついていくと、飼育小屋に着いた。
小屋の中には鶏が四羽いるが、新開くんは小屋の中に入らず、近くにある木箱の前に座った。
木箱の中をのぞいてみると、干し草が敷き詰められた上に茶色の仔ウサギがいた。新開くんはウサギの背をなでると、バッグの中からサラダ菜の入った袋を取り出した。サラダ菜を一枚取り出してウサギの口元に持っていくと、ウサギはもぐもぐと食べ始めた。
「ねぇ、新開くん」
私は新開くんにインターハイを辞退した理由を聞きに来たのだ。はぐらかされた気がして、もう一度聞こうとすると、
「コイツの母ウサギ……オレがレース中にひき殺したんだ」
衝撃的な言葉に思考が止まる。
新開くんが、レース中にウサギをひき殺した……?
「三週間前にあったレースの時のことさ。他校のマークに手こずっていたオレはスピードを上げて左を抜こうとした。その時……飛び出したウサギと衝突して落車した。目の前の優勝のことしか考えていなかったオレは、ウサギを気にかけることもなくすぐに自転車に乗って走った。その時のレースは優勝して、なんとなく帰りにそのコースを通ったんだ。その時道端で、もう息のないウサギとコイツがいるのを見た……」
「新開、くん」
「……ゴメン、。おめさんが自転車部に入ってくれてすっげーうれしいんだけどさ。オレ、もうあの頃のように走ることができないんだ」
「あまり自分を責めないで」
「ありがとう……。でも、オレはたしかにあの時、勝利にこだわるばかりで母ウサギのこと、悔やみもしなかった」
背を向けたままの新開くんの声が、だんだん弱々しくなる。
「オレはもう自転車に乗ることはできないけれど、がいるなら安心して部活を辞めることができるよ。身勝手な願いだけど、寿一たちのこと、よろしく頼む」
新開くんが振り返り、悲しそうな表情で言った。私は……新開くんにかける言葉が見つからなかった。
重い足取りで部室に戻り、その後のことはよく覚えていないまま自転車部の初日の活動は終わった。
部活終了後、福富くんに新開くんがインハイを辞退した理由を話すと「そうか……」と言ったきりなにも言わなかった。
家に帰るとすぐにベッドに倒れこみ、目を閉じる。
三年前――中学二年生の時のことだ。ロードレースのゴール付近、観客が集まる所でもうすぐ来るであろう選手を待っていた。
「秦野第一の新開だ!」
観客の一人が声を上げる。
観客たちの視線の先に一人のライダーが見える。あれは、紛れもなく新開くんだ。鬼の形相を浮かべ、サドルから腰を浮かしてペダルを踏み、猛スピードで走っている。
『新開はスプリンター生粋の才能を持っている。今度コイツのレースを見に来るといい。コイツは、誰よりも速い』
新開くんと初めて会った時の福富くんの言葉を思い出す。
新開くんのレースを見るのはこれで二度目になるけれど、福富くんが褒めるほどあって誰よりも速い。さらに加速し、後方にいる二位、三位の選手を何メートルも引き離していく。
「頑張れ、新開くん!」
目の前を一瞬で通り過ぎた彼に精一杯の声でエールを送る。
一位でゴールを通過したのは新開くん。気持ちよさそうに両手を広げて空を仰いだ。
新開くんは、福富くんの一番の友達にしてスプリンターであり、誰に対しても優しく、穏やかな人だった。
福富くんの紹介で初めて会った時は緊張したけれど、彼の親しみやすい性格にすぐに打ち解けることができた。
『インターハイはツール・ド・フランスにも負けないくらい熱い戦いが見れると思う』
あの時インハイのことを教えてくれた新開くんの目は、どこかキラキラとしていた。もし、ウサギの一件がなかったら、彼はインハイメンバーに選ばれたことを心から喜んでいたのだろう。
……やっぱり、新開くんにはもう一度自転車に乗ってほしい。でも、新開くんにどんな言葉をかければいいのだろうか。
答えが見つからないまま睡魔が襲い、眠りに落ちていった。