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 インターハイが終わり、三年生はインハイ最終日をもって引退となった。次期主将は前から話にあったとおり、福富くんに任命された。
 あれから、数日の休みを挟んで部活動が再開した。部活に取り組み、夏休みの宿題も片付けて……あっという間に新学期になった。

 久しぶりの授業は気だるく、午後の授業は先生の話を全く聞いていなかった。エアコンはあるけどもじんわりと暑い教室。窓の外からはセミの合唱が聞こえてくる。九月だというのに、まだ八月だと勘違いしてしまいそうだ。
 窓を見ると、誰もいないはずの校庭に一人自転車部の方角に歩いている男の人が見えた。……あれは福富くんだ。制服姿で右手にはバッグ、左手にはビニール袋を持っている。
 ……もしかして福富くん、総北高校に行くんじゃ。確信はないけれど、いかにも彼がしそうなことだ。一人で総北高校に行けば、また田所くんに殴られちゃったりして……。
 そう思った時、居ても立ってもいられなくて。大げさに腹部を両手で覆う。

「どうした!? お腹が痛いのか、なにか悪い物でも食べたか!?」

 物理の先生が驚いて声をかける。ごめんなさい先生……。仮病なんです。

「ちょっと昼に食べたサンドイッチにあたっちゃったみたいで……今日は授業無理そうです」

 顔をしかめてつらそうなフリをして、こっそり先生の様子をうかがってみる。先生はさらに慌てて、

「それは大変だ! 今日は早退していいぞ! 保健委員の田島は……今日は休みか。もう一人は荒北だったな。昇降口まで付き添い頼めるか?」

 ……しまった。仕事をしているところを一度も見たことがないのですっかり忘れていたけど、荒北くんは保健委員だった。

「ハーイ」

 後ろを振り返り、心がこもっていない返事をした荒北くんを見る。彼は予想どおり「メンドクセーことしやがって!」と無言で訴えた。

 私のバッグを持った荒北くんがなにも言わずに階段を下りる。昇降口に着くと彼はやっと口を開き、

「オマエ、昼にサンドイッチ食ってねぇだろ」

 しまった! 荒北くんにバレるとは思わなかった! 「仮病だろォ?」と言われる可能性も考えてたけど、これは想定外だ。なんて言い訳をしよう……!
 …………あれ? そういえば荒北くん、昼は学食に行ってたような……。どこで私の昼食を見たんだろう。

「……あ」

 気づいた時には時既に遅し。――荒北くんのひっかけだ!

「見え見えなんだよバーカ」

 意地悪そうに笑う荒北くん。いつかこの仕打ちに対する仕返しがしたい……。

「で、正直に言えよ。サボリ?」
「えへへ……若気の至りってヤツ?」

 わざと言葉を濁した。正直に話したところで引き止められても困るし、福富くんのことを放っておくわけにもいかない。これ以上荒北くんに詮索される前に話を終わらせなければ。

「もうここまでで大丈夫だよ! ありがとうっ」

 私のバッグを取ろうとすると、なぜか荒北くんはバッグを高く上げた。

「バッグ返してっ」

 手を伸ばして取ろうとするけども、何度やってもバッグに手が届かない。
 早くしないと福富くんが学校から出ていってしまう。荒北くんと遊んでいる場合ではないのだ。

「真面目に答えろ。お前、福チャンのこと好きなのか?」

 ――どうして、このタイミングでそんなことを聞くのだろう。
 荒北くんの顔を見る。表情は真剣そのもので、冗談半分で聞いているわけではなさそうだ。
 それに対して私は、

「福富くんとはただの幼なじみだよ! 男の子として好きって思ったことは一度もない!!」

 大声で強く否定してしまった。
 こんなこと、人からよく聞かれることなのに。荒北くんには誤解してほしくない。なぜか心の中で強くそう思って、つい声が荒がってしまった。
 荒北くんも私がこんなに怒るとは思わなかったのか、目を大きく瞬いた。

「バァカ。もしそうだったら部活に支障が出るし、なにか起きる前に聞いただけだよ。勘違いすんな」

 言うと同時に荒北くんは私のバッグを押し付けた。とっさに受け止めてバッグの取っ手を持つ。

「さっさと行ってこい。早くしねェと福チャンいなくなるぞ」
「……うん!」

 なんだ、荒北くんも気づいていたのか。
 私は力強くうなずくと彼に背を向け、靴を履き替える。

「千葉土産、買ってこいよ」
「時間があったらね」

 笑いながら荒北くんに手を振って、校舎を飛び出した。

「福富くん!」

 正門を出る彼に向かって大声で呼び止める。福富くんが立ち止まり振り返る。

……! お前、授業はどうした!?」
「表面上はお腹痛くて早退。総北に行くんでしょう? 私も行くよ」
「バカなことを言うな! さっさと教室に戻れっ」
「早退しちゃったし、千葉土産頼まれちゃったし。もう引き返せないよ」

 福富くんが額に手を当てて大げさにため息をつく。

「……お前は、本当にバカだ」
「バカでいいよ」

 福富くんはもう一度深いため息をつくと再び歩き始めた。慌てて福富くんの背中を追いかける。