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 総北高校行きのバスに乗り、車窓から見える景色をぼんやりと見る。バスに乗った時は都会の街並みが見えた車窓は今では田んぼの風景の連続で、箱根とはまた違ったのどかな所であることを実感する。

「オレが総北に行くことがよくわかったな」

 二人だけしか乗客がいない静かな車内。隣に座っていた福富くんが口を開いた。

「窓の外見てたら部室に向かう福富くんが見えて。これから総北高校に行くんだろうなって思った」

 福富くんの手には箱根の温泉まんじゅうが入った袋がある。おわびの品として金城くんに渡すつもりなのだろう。

「ありがとう。正直、お前がついてきてくれて心強い」

 消え入りそうな福富くんの声に、不安になって顔を向ける。

『終点、総北高校前、総北高校前――』

 不安を遮るように車内アナウンスが流れる。バッグの取っ手をつかみ、バスから降りる。
 長い時間をかけてやっと総北高校に着いた。ちょうど授業が終わった時間なのか、正門前には帰宅する生徒の姿や、校庭からは部活動に励む人たちの声が聞こえてきた。

「ここから先はオレ一人で行く」
「でも……!」

 福富くんが首を大きく左右に振る。

「金城になにを言われようとも、田所にまた殴られようとも、オレ一人で向き合いたい。……もし、それでオレの心が折れそうになったときは……すまないがまた肩を貸してくれ」

 福富くんが悲しそうに笑う。
 そんなことを言われたら、言うとおりにするしかないじゃないか……。

「なにかあったらすぐに呼んでね。もう福富くんにつらい思いはさせたくない」
「……お前は、どこまでも優しいな。お前の言葉にもっと耳を傾けていれば……オレは間違わずに済んだかもしれない」
「福富くん……」
「終わったら携帯に連絡する。近くで戻るのを待っててくれ」

 福富くんが体を翻し、正門をくぐる。
 本当に大丈夫なのかな……。待つと決めてしまった私にはなにもできず、福富くんの背中が見えなくなるまでぼうっと立ち尽くしていた。


「あの人、どこの高校の人かな?」
「見慣れない制服だね」

 総北高校の女生徒二人が私を見ながら声を潜めて話し、正門をくぐる。
 福富くんが行って五分くらい経っただろうか。帰宅する生徒の視線が痛い。
 ポケットに携帯電話が入っていることを確認し、その場を離れる。とりあえず宛てもなく学校の周辺を歩くことにした。

 しばらく、道なりに沿って歩くと裏門に着いた。正門よりはこぢんまりとした門。その後ろには急勾配の下り坂が広がっている。
 こんなに勾配のある坂だったら、クライマーの東堂くんは大喜びしそうだ。逆に荒北くんなら、「メンドクセー坂作りやがって!」って激怒する様子が容易に思い浮かぶ。
 そういえば今箱学も放課後の時間だ。急に休んでしまったけども部活は大丈夫だろうか。私や福富くんが不在で、なにかもめ事が起きてないといいのだけれど……。

 ◆

「大変だ巻ちゃん! 今フクがそっちに向かっているらしい! オレの計算だともうすぐそっちに着くはずだ!」
『ええええっ!? もっと早く教えてくれれば対策できたのに……!』
「だからオレは何度も電話したのだ! これを機に居留守はしないことだな!」
『東堂こそ無駄な電話はやめるっショ……あ、田所っち! これから福富がこっちに来るみたいなんだけどよ!』

 東堂が片手に持つ携帯から焦りの声が聞こえる。電話の相手は巻島裕介。福富が総北高校に向かっていることに気づいた東堂は、急いで巻島に連絡を取っていた。その様子を長椅子に座って傍観する荒北。

『いい機会だからもう一度殴ってやる? そ、そんなのダメっショ! ……あ、金城が来た! ワリィ東堂!』
「うわああああ!! 巻ちゃーん!!」

 携帯の受話口から電話が切れる音が響く。ついに焦りが頂点に達した東堂は頭を抱えた。

「こんな時にちゃんがいればフクを説得してくれそうな気がするのだが……! なぜこんな時に限って腹を壊すのだ!」
「そうだなーアイツはバカだ」

 表情を変えずに荒北は相づちを打った。
 数分前、東堂からの早退の理由を聞かれた荒北は、律儀に腹痛と答えた。本当は真実を伝えてもよかったのだが、が面倒事に巻き込まれるといけない。さらに、普段東堂にはからかわれているので日頃のささやかな復讐で黙秘することを決め、慌てている東堂の様子を見ると少しだけ楽しかったりもする。

「あぁー大変だ! フクと金城が鉢合わせすれば一触即発になるに違いない! 新しい自転車部が今日最後の日になってしまう……!」
「乱闘になるな……次の主将は誰だろう」
「荒北! バカなこと言ってないでお前も真面目に考えろ!」
「へいへい」

 笑いがこぼれそうになって、荒北はそっぽを向いた。

(福チャンだし、頼りねーけどもいるし。大丈夫だろ)

 あの日自分を自転車の道に導いてくれた福富。自転車部のために奔走している。あの二人であれば大丈夫だろう。
 二人が無事に戻ることを信じて疑わない気持ちとは別に、荒北にはもうひとつ心境の変化があった。
 今日の午後おもわず口をついて出た言葉に、はきっぱりこう答えた。

『福富くんとはただの幼なじみだよ! 男の子として好きって思ったことは一度もない!!』

 どういう訳かあれから、ずっとモヤモヤとしていた気持ちが嘘のように消えた。あのよくわからない気持ちは一体何だったのだろう。
 ふと、今晩のことを考える。今日の自主練習は必然的に一人でやることになるだろう。そう思うと理由はわからないが無性に寂しくなった。

(ちゃんと福チャンのこと支えてやれよ)

 今日一度も開かれていない福富のロッカーを見やり荒北は思う。かつてインハイ最終日に見つけたひとつの可能性。荒北はまだ、それが信じられない。