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 地面に尻もちをつき、届かなかった手を下ろし、目の前の光景を呆然と見ていた。
 がうつ伏せに倒れている。フェンスに挟まれた足から赤の水たまりができる様子を見て、次第に頭の中が真っ白になっていく。

……?」

 震える声で彼女の名を呼ぶ。しかし、から返事はない。

「救急車……誰か救急車呼んで!」

 大きな音に駆けつけた女生徒の声が響く。
 荒北は目の前の光景に視線を奪われたまま、一歩もその場を動けなかった。


 教員と一緒に救急車に乗り、病院に着いて手術室に搬送されるを見送った後、廊下にある長椅子に座りうなだれていた。
 近くには教員二人がいる。先ほど事故の経緯を聞かれ、混乱している頭の中を必死に整理しながら話した。教員たちは荒北の話に深く追及せず、建物内を行き来して学校に連絡を取っている。
 手術中の赤ランプを見つめながら、先ほどの出来事を思い出す。
 久しぶりに、と面と向かって話せた。いつもと変わらない態度を装ったものの、本当はうれしかった。彼女がわざわざ自分に会いに来てくれたのを言わずともわかったからだ。
 そんなことを思う自分に憤りを感じた。あの日、全てを捨てると決めたはずなのに……今も、彼女に対する淡い恋心が残っている。時々、彼女に謝ることも考えたが、夢が遠のくかと思うとその気にはなれなかった。
 前のように彼女と親しくする気はないが、ただひとつ。先日東堂が言っていた足利峠の登坂。彼女はあれから峠を制覇することができただろうか。
 そのことを聞くとは「登れたよ」と誇らしげに笑った。その表情を見て、真波という少年が登坂に協力したことを思い出してちくりと胸が痛む。
 なにを考えてるんだ、オレは……と思った時だった。強く風が吹いて、砂埃が舞いとっさに目を閉じる。
 痛みがひき目を開けると――が自分の胸を押して、上から落ちるフェンスに身をていして守っていた。

「なんでだよ……」

 膝に置いた拳を握りしめる。
 どうして、オレのことを庇ったんだ。お前なら、たとえあえてなにもしなかったとしても、誰もお前のことを責めないのに。なのにお前は……オレを庇って……。
 先ほど聞いた医者の話によると、命に別状はない。だが、左足に重傷を負った。彼女の容態が落ち着いた頃に改めて検査をするが、少なくとも一ヶ月以上は入院が必要だという。
 これは奇跡に等しいことだ。もし、あの時打ちどころが悪ければ、足利峠の話をしたのを最後にとは二度と会えなくなっていたかもしれない。
 そんなことになってしまったら、自分はきっと後悔するだろう。夢を捨ててでも彼女の手を取るべきだった。今になってそう思う自分がいた。
 目頭が熱くなり、涙が零れそうになる。目をきつく閉じて涙をこらえる。ここで涙を流すと、彼女の容態が悪くなる気がしたからだ。祈るように手を組み合わせ、頭を垂れる。
 手術中のランプが消え、長椅子に座っていた教員が立ち上がる。手術室から医者が出てきて周囲が一気に慌ただしくなった。荒北がのいる個室の病室に入ることを許されたのはそれからだいぶ後のことだ。

 ひんやりと冷たいドアノブをつかみ、ドアを開く。
 消灯されたままの室内に、窓からは月の光が差し込み周囲を淡く照らしている。
 真っ白な天井、真っ白な壁。部屋の奥には複数のチューブにつながれて、ベッドに仰向けになって眠っているの姿があった。
 中に入り、歩を進める。布団に隠れていて彼女の足がどうなっているのかはわからない。けれどきっと、その足は幾重にも包帯が巻かれている。
 本当は自分が受けるべき怪我だったのに、それを彼女は自分の身代わりとなって受けた。の頬にそっと手を触れる。

「……ゴメン、

 抑えきれなくなった涙が頬を伝い、の顔を濡らす。
 荒北は床に膝をつけ、目覚めぬ彼女の上で大声を上げて泣いた。
 オレがあの時、お前を突き放さなければ……! こんなことにはならなかったのに!!
 荒北の思いに応えるかのように、背後からドアが開く音がした。頬に流れる涙を拭わないまま、後ろを振り返る。ドアを開けたのは福富だった。

「福ちゃん……」

 福富が荒北の隣に並び、を見る。彼女の体につながれたチューブを見て、痛々しそうに目を細めた。

「……なにがあった、荒北」
「オレがを追い詰めた。オレのせいでは――!」