49

 夕日が照らすグラウンドの中、一人地べたに座って背中を丸めている男の子を見かけた。
 その男の子は野球のユニフォームを着ていて、右肘を庇うように抱いては泣きじゃくっている。……きっと、右肘が痛むのだろう。
 彼とは面識がない。面識はないけれど、私は彼のことを知っている。なぜなら彼が、今まで断片的に私に話してくれたからだ。

『底に落ちたばっかりのヤツって、こっちがなに言っても声が聞こえねェんだよ。心の整理がつくまではな』
『でもオレは、もう一度どこまで行けるかを試してみたい。そうして、ここまで来た……』
『最近時々夢に見るんだ。あの時は自分のことでいっぱいいっぱいで、今ではそいつをひどく傷つけたなって思ってる。そいつとは別の学校だし、連絡先も知らない。いまさらどうすることもできねェっつうのに』
『故障しねェように休むときは休むし、二度も同じことは繰り返さねーよ』
『お前に会ってからとっくの昔に辞めた野球部のことを思い出すようになって、そういやアイツとケンカ別れをしたってどうしようもない後悔をして……お前のせいでいらないこと考えるようになった。最近ペダルが重いのも全部お前のせいだ!!』

 荒北くんと接していくうちに、たぶん彼の歩んできた道にこんなことがあったのだろうと思っていた。だからあの時、私を突き放した荒北くんの気持ちもわかるのだ。

「野球ができなくなったらオレ……なにもなくなる……」

 男の子が腕に顔をうずめる。肘を痛めて野球ができなくなったことがどれだけつらかったのだろう。私が想像するよりもずっと、君はつらい経験をしてきたんだね。

「大丈夫だよ」

 男の子の体を包み込むように、背中から抱きしめる。
 何度か荒北くんの体に触れたときにはなかった、腕の筋肉を感じた。君はこの腕で、どれだけのボールを投げたのだろう。

「君はなにもなくならないよ。野球はやめちゃうけど、私の幼なじみに会って、自転車に乗るようになって。いつか私が憧れたアシストの役割を担って、エースをゴールにまで連れて行くんだ。だから、なにもなくなるわけじゃない」
「でもオレ……今度は足が故障して、自転車に乗れなくなるかもしれない」
「大丈夫。今度は私が守るから。だから君は、前を向いて」

 抱きしめる腕に力をこめて、目を閉じる。

 ◆

 病室が静寂に包まれる。荒北は全てのことを福富に話した。
 話していくうちに胸にひとつの決心をし、とめどなく流れていた涙はいつの間にか収まっていた。

「……これから、どうするつもりだ?」
の目が覚めたら真っ先に謝る。……もう二度と、コイツの手を離さない」

 福富が荒北の横顔を見る。荒北は頬を涙で濡らしたまま、いまだに目覚めないの顔をまっすぐに見つめている。

「誰よりも優しいが、その分気苦労が絶えないヤツだ。……オレの幼なじみのことをよろしく頼む」

 福富が踵を翻し、病室を出る。荒北は福富を一瞥することなく、の目覚めを待っていた。

 ◆

 まぶしい光を感じて目を開ける。
 体を起こすと、肌寒い室温に体が震えた。視線を落とすと真っ白な病衣を着せられていて、胴体から下は布団に隠れていて見えない。
 朝日が差し込む窓とは反対側の方に目をやると、荒北くんがいた。椅子に座りながら少しだけ口を開けてすうすうと眠っている。
 彼の目の下が腫れている。私が寝ている間にひどく心配をかけたのだろう。
 辺りを見回すとブランケットを見つけた。手繰り寄せて、両手でふわりと広げて荒北くんの膝元にかける。風邪をひきやすいと前に言っていたのを覚えている。こんな所で風邪をひいたら大変だ。

「ん……」

 ブランケットをかけたせいで起こしてしまっただろうか。荒北くんの目がゆっくりと開く。
 私を見ると、目元に涙を溜めて、私の体を抱きしめて――

「ワリィ! お前には……謝っても謝りきれないほどオレは……!」
「ううん。私こそゴメンね」

 頬を伝った涙が、荒北くんの肩に落ちる。
 心配かけてゴメンねとか、泣かないでとか、たくさん言いたいことがあったんだけど。もう少しこのままでいたくて、なにも喋らなかった。