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 始業式の日を迎えて、二週間ぶりに教室に入る。今日から私は二年生から三年生へと進級だ。
 この学園は二年生から三年生に進級する段階でクラス替えは実施されない。今年も荒北くんと同じクラスで、担任の先生が極度の面倒くさがり屋のため、席も転入したあの頃と変わらない。

「始業式ダリィ」

 私の後ろの席で荒北くんが頬づえをついて言った。周囲を見渡すとクラスの半数以上の人がいない。もうすぐ始まる始業式のために体育館に行ったのだろう。

「そろそろ行かなきゃ」

 あくびをしている荒北くんを急かして一緒に体育館に向かう。
 出席番号順になっている列の中に入り、友達とお喋りしながら待っていると始業式が始まった。先月に行われた終業式とあまり変わりはないけれど、これで春の始業式が最後なのだと思うと、理事長の話や何気ない進行の話まで真剣に耳を傾けて聞いてしまう。

『次に、教頭先生からのお話です』

 壇上に教頭先生が上がる。
 最初は進級の話に始まり、終業式の時と似たり寄ったりな内容の話だった。しかし――

『ここで、皆さんにお伝えしたいことがあります。この学校は部活に力を入れていることが一番の特色ですが、年々、活動費が増しているわりには予算に見合う結果を出していない部活が多く、また全体の学力も低下傾向にあります』

 話に怪しい雲行きを感じる。周囲も私と同じことを思ったのか、少しざわつきめた。

『そこで、明日から大規模な部活から規模の小さい同好会まで、全てを対象に視察に回ります。そこで見直しが必要だと判断した部活には、この私が直々に介入させて頂きます』

 周囲が一気にざわつく。「マジかよ後藤」「オレの同好会潰されたらどうしよう……!」ほとんどの人が動揺している。
 大規模な部活もって言ってたから、自転車部も当然対象内なのだろう。去年のインハイでは優勝しているし、大会ではいい成績を残しているからなにかを言われることはないと思うけれど……嫌な予感がするのはなんでだろう。

『今の話で反感を持つ生徒がいるかもしれません。ですが、この学園をよりよいものにするためには必要なことなのです。……どうかご協力お願いします』


「後藤、なに考えてんだか」

 教室に戻って席につくと、後ろにいる荒北くんがつぶやいた。始業式前よりも不機嫌な顔になっている。荒北くんが呼び捨てにした後藤とは、教頭先生のことだ。

「明日の部活、気ィつけろよ。きっとあらを探して突っついてくるぜ」

 またまたぁ。荒北くんは物事をネガティブに考えすぎだ。自転車部はこの学校で一番大きな部活だし、間違ってもひどい扱いはしないだろう。
 ――この時、私はそう思っていたのだが。


 翌日。授業が終わり、部活の準備をしていると、教頭先生が部室に来た。周囲を見渡すなり、いきなり私の方に向かって歩いてきた。

「あなたがさんね。旧校舎の一件では怖い思いをさせてごめんなさいね。これは本来、私たち大人がしっかり管理をするべき問題なのだけれど……」

 教頭が三角眼鏡のブリッジを指で上げる。

「この部活は無駄が多すぎるわ。これを機に省けるものは省いて、その分旧校舎の取り壊しなど、設備に予算を回すつもりよ」
「待ってください! どこが無駄だっていうんですか!!」

 いくら目上の人でも、今のは私にとって聞き逃せない言葉だ。臆せず言うと、

「自転車部は他の部に比べてお金がかかりすぎなのよ。OBやスポンサーの寄付金が毎年減少しているのに予算は増えるばかり……。それに、自転車なんて今マナーの悪さで問題になっているじゃない。怪我のリスクもあるし、高校の部活にするにはまだ早いスポーツだわ」
「お金はたしかにかかりますけど……その分、与えられた予算をきっちりと管理して部活動に取り組んでいます。それに、この自転車部は公道に出たときマナーを守るよう徹底しています。怪我にも気をつけて、毎日頑張って練習をしているんです。それを簡単に無駄だとか言わないでください」
さん。好きという情熱だけで部活はできないのよ」

 教頭とじっとにらみ合う。今の言葉を撤回するつもりはないし、教頭も譲歩する気はないようだ。

「主将の福富くんを呼んでちょうだい。あと、副将の東堂くんも。彼らにお話があります」


「あの三角眼鏡っ! 自転車部になにか恨みでもあんのかよ!!」

 部活が終わった頃、福富くん、荒北くん、新開くん、東堂くん……そして私の計五人が部室に集まった。
 福富くんの話を聞いて、真っ先に怒ったのは荒北くんだった。

「参ったな……。まさかあそこまで部活に介入するとは思わなかったぞ」

 新開くんが人差し指で頬をかく。先ほどの福富くんの話を要約すると、こういうことになる。
 この部活は学園の中で予算が一番大きく動いている。全国の中で一番の強豪校だということは理解しているが、今の状態を維持するにはそれに見合う結果が欲しい。そのために教頭は二つの条件を提示した。
 まず、去年よりも多くのレースで優勝を獲ること。これは今絶好調な福富くんや荒北くん、東堂くんや新開くんがいるし問題はないだろう。念のためにさっき去年のレースの結果と今年のレースの結果を見比べてみたが、この調子でいけば誰かが怪我をしない限り簡単にクリアできる。
 ……そして、二つ目の条件はインターハイで総合優勝をすることだ。

「…………」

 一同が沈黙をする。
 無理もない。インハイで総合優勝を獲らなければ、この部は縮小すると喉元を刃で突きつけられているのだ。
 三ヶ月後のインハイでは、箱学が優勝するって信じている。信じているけれど……レースではなにが起こるかわからない。「もしも」のことが起こって優勝を逃す可能性だってあるのだ。
 もし、それで部活動の予算が少なくなったら後輩が苦労するだろう。インハイを境に引退する三年生には影響のない話だけど、もちろん気分はよくない。

「普段どおり、勝てばいい。それだけの話だ」

 重い沈黙を福富くんが破った。

「だが、今回の教頭はやりすぎだと思うぞ。他に反感を持っている部だってあるだろうに」
「尽八の考えているとおり、そう思っている奴らはたくさんいるけどさ。保護者からは『無駄な物をばっさりと切り捨てる誠実な先生』として評判みたいだぜ。他からの抗議を期待するのは難しいかもな」

 新開くんの言葉に東堂くんが腕を組み、眉根を寄せる。福富くんが椅子から立ち上がった。

「まずはオレたちが手本を見せ、部の士気を高める。教頭がとやかく言う隙を与えないほどの結果をあげるぞ」

 「福チャンが言うならやってやんよ」「OK寿一」「ま、オレと互角に戦えるのは巻ちゃんくらいだからな! 怖いものなどなにもない!」と三者三様の反応をして椅子から立ち上がる荒北くんたち。

「私も頑張るよ。この部を絶対に縮小させない」

 私も椅子から立ち上がる。このまま教頭先生の好き勝手にやられてはたまらない。

「明日は室内練習の予定だが、教頭に部のやる気を示すためにレースに変更する。各自、今日はゆっくり休むように。……解散!」


 始業式の日から突然の騒動を迎え、慌ただしい日々を送っていると、あっという間に入学式の日になった。
 朝、家を出ると同時に、隣の家から扉が開く音がした。

「……あ、さん。おはようございます」

 真波くんは私に気がつくとにっこりと笑った。

「おはよう真波くん。制服姿、似合ってるね」

 真波くんは箱根学園の制服を着ている。今年の冬、一般入試で箱根学園に受かり、こうして入学の日を迎えた。
 今まで学ランだったからブレザーの真波くんには少しだけ違和感がするけれど、彼の青い髪と同色のブレザーはとても似合っている。

「今日からよろしくお願いしますね、先輩」

 真波くんと一緒に、学校へ続く道を歩く。