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 結局、荒北くんの誕生日プレゼントは用意できないまま日が暮れ、帰路を二人で歩く。
 荒北くんの右手にはケーキの箱がぶら下がっている。横浜を出る前に私が「ここでケーキを買おう」と言って買った物だ。プレゼントは用意できなかったけれど、せめてお祝いだけはきちんとしておきたかった。
 私にとって、印象深い道に入る。ここで去年のお祭りの夜荒北くんと二人で歩いて、初めて荒北くんの寂しそうな顔を見た。秋には荒北くんとの距離が遠くなったきっかけの場所でもある。
 ここで二度荒北くんが本心を見せてくれた。今となっては懐かしい思い出に浸りながら、木々を見上げる。
 桜が咲いていて、いつもは緑一色だった木々が今日は桃色になっている。夜の闇にも艶やかに映えて、満開に咲いていてとてもきれいだ。

「ここ、桜並木だったんだ」
「朝もここ通っただろ」
「その時は気づかなくて……」

 その時は今日のデートのことで頭がいっぱいで、全く気づかなかった。

「桜の時期に生まれたんだ。いいなぁ」
「そうかぁ? 学年で歳取るの一番早いんだぞ。去年東堂にはジジイ扱いされたし」

 眉根を寄せる荒北くん。話から察するに、私が荒北くんと初めて出会ったのは誕生日の後の日なんだ。

「早いモンだよな。オレが自転車部に入ってからあっという間だった気がするけど、が箱学に来てからは時間が経つのがもっと早い」
「そうだね」

 もうすぐ、箱根学園に来て一年が経つ。この一年の間に色々なことがあった。
 真っ先に思い出すのは荒北くんのこと。最初の頃は不機嫌そうな彼の言動にたくさん振り回されたっけ。

「荒北くんに会ったばかりの頃、結構不安になったなぁ。会釈してもそっぽ向くし」
「あっ、あン時は距離の取り方がわからなかったんだよっ! オレに近づいてくる女が初めてだし、優しくっつってもどうしたらいいかわかんねェし! ……ま、いつの間にかそういうこと考えていたの忘れちまったけどよ」

 心地よい風が吹いて、桜の花びらがふわりと舞い落ちる。
 桜の花びらがどんどん欠けていく様に、今の生活が少しずつ終わりに近づいていることを重ねて思い出した。
 ……荒北くんは、大学に行ったらどんな道を歩むのだろう。たとえば、自転車は続けるのかな。

「荒北くんはさ、大学に行ったら自転車は続けるの?」
「さぁな。福チャンと違って自転車だけがオレの全てじゃねェし」
「……そっか」

 あんなに練習頑張ってるのに、随分とあっさりだなぁ……。もったいない気がするけれど、もともと野球の道からそれてここまで来たんだし、荒北くんがそう思うのは当然かもしれない。

「寂しいか?」

 歩きながら、顔色ひとつ変えずに荒北くんが言った。考えていたことをそのまま見抜かれて心臓が跳ねる。

「ううん、全然……」

 本心をごまかして言うと、荒北くんがいきなり立ち止まった。私も一歩遅れて立ち止まる。
 突然どうしたんだろうと思っていたら、私の頭上に彼の手が伸びる。目を閉じると、わしゃわしゃと頭をがさつになでられた。

「本当かよ。これでもオマエの考えてること大体分かるんだからなっ」

 がさつなナデナデが終わり、目を開けて両手で頭上に触れると髪が膨れ上がっている。手ぐしでささっと直し、荒北くんの顔を見る。

「あんだけ練習やって、大学に行っても自転車やりてェとは思わねーな。……けど、自転車やらねェオレっていうのもあんまり想像がつかないな」

「オレに合うサークルって何だと思う?」って聞かれて、少し迷って「陸上」と答えた。水泳でもやりゃあトライアスロンできるなと笑われ、たとえばこんなのは……と話が広がって、家までの道のりがあっという間だった。


 ごはんを食べた後、リビングの明かりを消す。二人分のカットケーキの上に立てたろうそくの明かりだけが周囲を照らしている。

「なぁ、。今日は一日ありがとな」

 ろうそくで淡く照らされた先に、微笑する荒北くんがいる。

「好きなヤツと一日中一緒に過ごす誕生日ってのも悪くないな」

「もっと、この時間が続けばいいんだけど」小さな声で荒北くんが言った。
 荒北くんに感謝されるほど、私はなにもしていない。東堂くんに聞くまで誕生日だったことを知らなかったし、プレゼントもなにも用意できなくて。今になってようやく、彼に誕生日らしいことができた……。
 観覧車の時は荒北くんに否定されたけれど、来年は今日よりもいい一日にして、彼の誕生日を祝ってあげたい。
 プレゼントも荒北くんはいいって言ってるけど、こうなったら時間をかけてでもプレゼントを考えて、心から喜んでもらえるような物を贈るつもりだ。

「来年、荒北くんの誕生日当日……はわからないけれど、近い日に一日中一緒にいられる日を作るから……」
「バーカ。気ィ早すぎ。……でも、ありがとよ」

 ろうそくの火が消える直前、荒北くんが幸せそうに目を閉じた。


 朝起きて、目をこすりながら階段を下りる。
 リビングに行くと、テーブルの上には一人分の朝食が並べられていた。

「……荒北くんか」

 昨日、ケーキを食べた後、今日の早朝寮に帰ることを言われた。明日早く寮に帰ってこいと、東堂くんがうるさいようだ。
 荒北くんが家に来てからの二日間、楽しくてあっという間だった。
 これから数ヶ月後には最後のインターハイが待っている。その日のために、両思いではあるけれど今は付き合わないという条件を呑んで日々を過ごしている。それが昨日、荒北くんの誕生日で一日免除になった。学校では見られない荒北くんの意外な一面がたくさん見れて、もう一度一緒に出かけたいって思うけれど。それはインハイが終わった後にするべきことだ。
 リビングを出て廊下を歩き、右に曲がって突き当たりの部屋に行く。おそるおそるドアノブを回して中に入る。――予想どおり、部屋の中には誰もいなかった。
 布団がきれいに折り畳まれていて、周囲に彼の物は一切ない。この部屋を見ていると、昨日の出来事が夢のように思えてくる。

「……行っちゃった」

 もう少しだけ夢の余韻に浸りたくて、ぼすんと布団に倒れこむ。家で使っているシャンプーの香りがほのかに香った。