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 バッティングセンターを出て、考え事をしながら荒北くんの後ろを歩く。
 まさか今日が荒北くんの誕生日だとは思わなかった。もっと早く言ってくれればお祝いができたのに……。前に荒北くんの誕生日はいつなんだろうって疑問に思った時があったけれど、今になって早く知っておくべきだったと後悔する。
 もう半日を過ぎてしまったけれど、荒北くんに喜んでもらうためにはなにをすればいいのだろう。ケーキは後で用意するとして、プレゼントを急いで用意しなければいけない。荒北くんの欲しい物といえば――

「ここ、中学の時によく通ってたんだ」

 荒北くんが足を止める。彼の背中にぶつかりそうになって、慌ててブレーキをかける。
 足を止めた先を見ると、中華まん屋だ。上に吊り下げられているメニューを見ると、肉まん、あんまん、クリームまん……などと六種類の中華まんがある。

「オレは肉まんにするけど、はなににする?」
「私はあんまん……あ、私がおごるよ!」

 バッグの中からお財布を取り出すと、荒北くんが手で制止する。

「ただでさえに借りがあるのにさらに借りなんて作りたくねーよ」
「でも……」
「さっきのバッティングセンターで気分がいいんだ。だからオマエの分もおごってやる」

 そう言うと荒北くんは私にお金を出させる暇も与えず、一気に会計を済ませてしまった。
 借りなんて気にしないのに……。荒北くんからあんまんを受け取って、早速一口食べる。素朴で優しい小豆あんの味が口に広がった。

「おいしい……!」
「そうだろォ? 、それを少し右に」
「うん? 右……?」

 よくわからないまま手に持ったあんまんを右にずらすと、荒北くんが顔を近づけて一口食べた。
 呆然として荒北くんを見る。荒北くんはぺろりと上唇を舐めている。――これって、間接キスじゃ……! 頭の中が一気に沸騰して、あんまんの食べられた箇所を見る。

「うまいな」
「そうでしょう? でもボク、クリームまんの方がもっと好きなんだよね」

 荒北くんじゃない、別の男の人の声がした。
 荒北くんが私を見る。今のは私が言った言葉じゃない。首を大きく左右に振ると、荒北くんが左を見る。左には童顔の男の人がいた。手にはクリームまんを持っている。

「ここで会うなんて奇遇だね、靖友」
「テメッ、いつからここに……!」

 荒北くんが左手で男の人の胸ぐらをつかもうとしたが、男の人はするりとかわした。荒北くんの行動なんてまるでお見通しのようだ。

「スポーツ用品店に行った帰り、このお店に寄ったら偶然見かけて……。初めまして、南雲っていいます」

 男の人――南雲くんは私を見ると頭を下げた。

「初めまして。っていいます」

 私も頭を下げる。南雲くんとはどこかで会ったような気がするんだけど、きっと気のせいだろう。

「自転車部のマネージャーさんだよね。靖友からたくさん話を聞いてるよ。たとえば――」

 荒北くんに肉まんを渡され、すぐさまそれを受け取る。荒北くんの背中越しに関節が鳴る音が聞こえてきた。

「南雲……。それ以上言ったらどうなるかわかってんだろうなァ?」
「あはは。やだなぁ」

 南雲くんが後ずさる。

「じゃあボク、デートの邪魔はしたくないからここらへんで。靖友、誕生日おめでとう」
「あぁ、ありがとう――っておい待て!! オマエが勧めた喫茶店で言いたいことが山ほどあるんだけどォー!!」

 荒北くんが言い終える頃には南雲くんの姿は見えなくなっていた。……逃げ足の速い人だ。

「ったく……。今度会ったら覚えてろよアイツ。……さて、冷めないうちに食べるか」
「う、うん」

 荒北くんに肉まんを返し、自分のあんまんを一口食べる。時間差で間接キスをしてしまったことに気がついた。


 小腹を満たした後は商業施設に訪れた。ここには色んなお店があるし、気を取り直して荒北くんの誕生日プレゼントを用意しなければ……。
 なにをプレゼントしようか悩んでいると、荒北くんが眼鏡屋の前で足を止めた。

「似合ってるか?」

 伊達眼鏡を着けた荒北くんがくるりと振り返る。フレームが細いシャープなスクエア眼鏡。荒北くんと眼鏡はほど遠いイメージだけど、意外にも似合っている。

「似合ってるよ」
「サンキュ。にはこれ、似合うんじゃナァイ?」

 荒北くんに手渡された眼鏡をそのまま着けてみる。視界の一部が黒の螺旋で塗りつぶされていて見えにくい。
 荒北くんの方を見ると、彼は勢いよく吹いた。

「すっげぇ! 似合ってるぞ!」

 大笑いした荒北くんの反応を見て、自分の顔を鏡で見ると鼻眼鏡。なんで眼鏡屋にオモチャがあるんだろう……。300円の値札が付けられているし。

「荒北くんも着けてみなよ。きっと似合うよ」
「オレには似合わねーっつの」
「なんなら買ってあげても」
「いらねーよ。使う機会ないだろっ」

 鼻眼鏡プレゼントは失敗に終わり(本気でこれをプレゼントするつもりはないけど)今度はアクセサリー屋に立ち寄った。フロアの半分は男性用のアクセサリーコーナーで占められていて、ここなら荒北くんのプレゼントが見つかるかもしれない。

「これなんかどう?」

 シルバーのチェーンネックレスを指さす。

「……それ、東堂がいつもつけているヤツじゃねーか」
「荒北くんもサイクルジャージ着たときに一緒につけてみるとか」
「胸元痒くなるしぜってーヤダ」
「じゃあ……」

 周囲を見渡すと、荒北くんにぴったりなアクセサリーを見つけた。それを指で示す。

「……あーいうの一年の頃だったらつけてたかもしれないけどよ。今はつけないな」
「だよね」

 私が指さしたのは大ぶりのスカルのネックレス。もし荒北くんがリーゼントのヤンキーだったら似合っていたかもしれない。

「っていうかオレ、アクセあんまりつけねーし男モン見たって仕方ねーだろ。あっちの方行こうぜ」

 荒北くんが女性用アクセサリーのコーナーに向かって歩く。またしても失敗だ……。


 あれから、色んなお店に立ち寄ったものの結局いいプレゼントが見つからなくて気がつけば空は夕暮れ色に染まっていた。内心うなだれていると、「最後にあれ乗りたい」と荒北くんが観覧車を指さした。
 偶然にも空いていて、乗り場に着くとすぐに乗車することができた。私の向かい側に荒北くんが座り、係員の手によってドアが閉められる。窓を見ると地上がだんだん遠ざかっていく光景が見えた。
 車内がしんと静まり返る。荒北くんは景色を楽しんでいるけれど、私には景色を楽しむ余裕はない。どんなに考えても荒北くんにぴったりな誕生日プレゼントが思い浮かばなくて、このままだとプレゼントを用意する前に一日が終わってしまう。
 あんまりやりたくなかったけれど、ここは直接本人に欲しい物を聞いてみよう。

「荒北くんってなにか欲しい物ある?」
「欲しい物? そういや、今週発売のチャンピまだ買ってねぇな」
「高価な物で……」
「ロードバイク欲しいかも。福チャンにビアンキ返せって言われたら乗る自転車ねェし」
「それはちょっと無理かなぁ。ベプシ一年分とかどう?」
「部屋に置き場ねーよ」
「じゃあ、お米券とか」
「寮に食堂あるし。ンなのもらっても困る」
「アクセサリーとか」
「さっきの店で言ったろ。あんまつけねーよ」
「自転車用品とかどう!? たとえばグローブとか!」
「この前新しいグローブ買ったヨ」

 詰んだ!! 荒北くんの物欲のなさが今すごく恨めしい!!

「オレの誕生日プレゼントだったら気ィ使わなくていいから」
「でも……」
「今日一日、朝から晩までと一緒の時間を過ごしたいって思った。実際に今それがかなって……それだけでオレは充分だ」

 荒北くんが照れくさそうに言った。
 その顔を見て、こんなことでいいんだったら来年も、そのまた来年も、荒北くんが望むのなら何度でも過ごそうって思った。

「じゃあ私、来年も――」
「来年……一緒にいるとは限らないだろ」

 言おうと思っていた言葉を、荒北くんの言葉で遮られた。荒北くんはすぐに慌てて、

「勘違いすんなっ! オレの気持ちは来年もぜってー変わんねェし、そういう意味じゃねーよ! ……ただ、卒業したら会うのは難しくなるだろ。来年のこの時期、引っ越しの最中だろうし……」

 荒北くんの言葉にはっとなる。そうだ、来年には箱根学園を卒業して、新しい場所に行くことになる。
 来年のこの日、荒北くんと一緒にいられるとは限らないのだ……。

「……荒北くんはさ、進路決めてるの?」
「オレは洋南大」

 荒北くんが即答した。洋南大はたしか、静岡にある名門大だ。私が行くとしたら相当勉強しないと無理だろう。

「お前は?」
「なにも決まってない……」

「高校を出てやりたいこと」と聞かれても全く想像がつかないし、本当に進路は白紙の状態だ。

「……そっか。それなら、オレと一緒に洋南大に行くか?」
「えっ」
「そしたらもっと一緒に過ごせるし。悪い話じゃないだろ」

 窓の外を見たまま荒北くんが言った。洋南大学に行けば、荒北くんともっと一緒にいられる。学部は洋南大の中にある物を選べばいいし、悪い話ではない。
 ……でも、そんな簡単に自分の進路を決めてしまっていいのだろうか。今は荒北くんの夢をかなえたい一心で一生懸命頑張ってるけど、私は私、荒北くんは荒北くんだ。いつかは誰かの背中を押すのではなく、自分のやりたいことをやらなければいけない。

「ゴメン、荒北くん。私――」
「って思ったケド、進路は人に合わせるモンじゃねェし。お前はお前でちゃんと自分のやりたいこと見つけろよ。その上でどうしても洋南大に入りたいっつうんだったらしっかり勉強しろ」

 私の考えを読んだのか、荒北くんが一方的に言った。
 それもそのとおりだ。進路は誰かに合わせるものじゃない。私自身がちゃんと決めなきゃいけないんだ――。

「ありがとう、荒北くん」
「別に。当たり前のことを言っただけだし」

 窓の外の景色を見やる。しばらくの間、荒北くんと二人で一緒に眼下に見える街並みを見ていた。