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 写真よりも大きいボリュームに圧倒されたけれど、ボリューミーな外見とは裏腹に味は普通においしくて、時間をかけて完食した。「うまかったけどもう二度と食いたくない」そんな荒北くんのつぶやきが印象に残りながら喫茶店を後にする。
 次の場所はというと……

 まっすぐボールが飛んでくる。
 それは侍が車切りをする動作に似ている。一瞬のうちにボールを視界にしっかりと捉え、バットを力強く横に振る。
 向かってきたボールがカキンと音を立ててバットに当たり、大きく弧を描いて飛んでいく。もし今のが野球の試合上での出来事だったら、きっとホームランだ。
 ……もちろん、カッコよくバッティングを決めたのは私じゃない。隣のレーンでバットを振った荒北くんだ。
 次に来たのはバッティングセンター。ここに入る前に「久しぶりだから打てなくても笑うなよ」と荒北くんが言っていたことを思い出す。

「腕、なまっちまったなぁ」

 ヘルメットのつばをあげて荒北くんが言った。私が見る限り全部の球がバットに当たっているのだけど、どこがなまっているのかご説明願いたい。

「荒北くん、たしか投げる方じゃなかったっけ……?」
「オレは打つ方も得意なんだよ。……ほら、来るぞ」

 荒北くんのバッティングに見惚れてる場合じゃない。自分のレーンの先にあるボールの発射口を見る。今度こそ、と意気込みバットを構える。ボールがこちらに向かって飛んでくる。
 おもいっきりバットを横に振るが、ボールはかすりもせずにすり抜けていく――。

「ハハッ、今のスイング高すぎ」

 さっきまでは丁寧にコツを教えてくれたけれど、だんだん面倒になったのか荒北くんがけらけらと笑った。
 野球の経験は今まで一度もないけれど、テレビの野球選手を見るかぎり簡単にボールを打っていて、経験のない私も適当にバットを振り回せば当たるだろう……実際にバッティングをするまではそう思っていた。
 けれど、いざやってみるとまず球が怖い。初心者用の球速に設定してゲームを始めてみたけれど、私にとってはすごい勢いで球がこちらに向かって飛んでくるように見える。何回かバットを振り回すうちに私には当たらないって実感して怖くはなくなったけれど、今度はボールの位置が捉えられない。速すぎて、バットをどう振れば当たるのか全くわからないのだ。
 バットをボールに当てるという行為がどれだけ難しいことか身をもって実感し、全国のプロ野球の選手や草野球を楽しんでいる叔父様たち、東京にいた時の学校の野球部のみんなや、隣にいる元野球部の男の子、実はみんなすごい人なのでは……と思ってしまう。
 もうすぐゲームが終了する。偶然でもいいから一球当たらないかなと思いバットを構える。
 ボールが一直線に飛んでくる。ここだと思いバットを振ると――ちょっとだけかすった。

「ベプシおごってやるよ」
「ありがとう……」

 ゲームを終えてベンチに座る私に荒北くんがベプシを差し出した。それを受け取って一口飲む。

「バッティングセンターに来るの、中二以来なんだけどよ。久しぶりにやるのも楽しいモンだな」

 荒北くんが目を細めて言った。楽しそうに言われると、全然打てなかった悔しさがどこかに吹き飛んで、喜んでもらえてよかったと思ってしまう。

「次はあっちに行こうぜ」

 荒北くんが私の手を取る。気づいていないのか、私の手を握っている。ベンチから立ち上がり、荒北くんの背中と手を交互に見ながら連れていかれるがままに歩く。
 彼が興味を示したのはストラックアウト。ボールを投げる位置から離れた所に1から9までのパネルがあって、ボールを投げてそのパネルを落としていく。

「見てろよ。完全パーフェクト獲ってやる」

 ルールに従って完全パーフェクトを決めると、遊園地のペアチケットがもらえるキャンペーンがある。プロの投手でも難しいんじゃねェのってさっき荒北くんが言ってたけど、大丈夫かな。案外あっさり獲っちゃったりして……。
 荒北くんが金網のドアを開けてピッチングレーンに入ると、左手にグローブをはめた。右手にボールを持ち、きれいなフォームで大きく振りかぶる――。
 さっきのバッティングゲームで見た時よりも速い球がストラックアウトに向かって一直線に飛び、右上の「3」と書かれたパネルが落ちる。

「すごい……」

 さっきのバッティングもすごかったけれど、ピッチングはもっとすごい。
 プロ野球の試合なんてこの目では一度も見たことないし、私が言っても説得力がないけれど……荒北くんが投げるボールはまっすぐで力強くて、小さい頃から練習を積み重ねてきた成果のように感じた。
 荒北くんがもう一度大きく振りかぶり、ボールを投げる。今度は真ん中の「5」のパネルが落ちた。

「……?」

 携帯の振動音が聞こえた。今度は私のバッグの中にある携帯の方からだ。
 携帯を取り出すと、東堂くんから電話だ。少し迷って、ストラックアウトに集中している荒北くんに頭を下げると、その場を移動して携帯を開いた。

「もしもし」
『もしもし、ちゃん。ダメもとで聞きたいことがあるのだが、荒北のヤツ、どこにいるか知らないか? さっきからアイツの携帯に電話をかけているのだが、全くつながらないのだよ』
「荒北くんなら……」

 私と一緒にバッティングセンターにいるよ、と言いそうになって口をつぐむ。こんなことを言ったら、次の日ニヤけた東堂くんになにを言われるかわからない。

「どこに行ってるんだろうね。でも、どうしたの?」
『今日荒北の誕生日なのだよ! 今日か明日辺りに寮に帰ってくるといううわさを聞いて、フクと新開の三人で驚かせてやろうと思ったのだが……こうなると明日に延期だな』

 ――ちょっと待って。

「と、東堂くん。荒北くんの誕生日って……!」
『うん? ちゃん知らなかったのか? まぁアイツの場合自分の誕生日をあまり人に言う方ではないか。無理もない』

 今日は荒北くんの誕生日だったんだ!! 東堂くんに言われて初めて知った!!
 だから荒北くんは私をデートに誘ってくれたんだ……! 東堂くんの話を聞いてようやく合点がいく。

『今度会ったときにでもお祝いの言葉をかけてやるといい。じゃあ、またな』
「う、うん。またね」

 電話を切り、元いた場所に戻る。荒北くんはちょうどゲームを終えたところで、不服そうな顔をしながらピッチングレーンから出てきた。

「二球はずした。やっぱり腕なまっちまったな……」
「荒北くん、今日誕生日って本当!?」
「……あぁ。そうだけど」
「東堂くんたちが荒北くんのために誕生日祝いを計画しているみたいなんだけど……!」
「前から約束してたわけじゃないし。ンなの明日でもいいだろ」
「でも……!」

 こんなに貴重な一日を、私と一緒に過ごしていいのだろうか。
 本当は名残惜しいけれど、「今日は早く帰ろうか」と言おうとした時。荒北くんが先に口を開いた。

「オレ、今日一日はといるって決めたから。いまさら予定変える気なんてないし」