栄光のサクリファイス 98話

 最後の一枚の写真をアルバムに貼って、今日一日の作業が終わる。掛け時計を見ると、時計の針は十二時を過ぎていた。

「いけない、もうこんな時間」

 急いでアルバムを閉じて、机の上を片付ける。
 前に荒北くんから借りたアルバム。あれからコツコツ写真を増やして、四分の一が白紙だったアルバムは今は六分の一に減っていた。十一月には追い出し走行会もあるし、これからもまだまだ高校生活は続く。残りのページは写真を撮りながら埋めていこう……。そう思いながらアルバムを引き出しの中にしまう。
 布団の中に入り、今日やった作業の内容を思い出す。今日まとめたのはインハイ最終日の写真。福富くんたちが円陣を組んでいる時の写真や、スタート前の写真、表彰式の写真などを手書きのメモやマスキングテープと一緒にアルバムに挟んだ。
 この日、荒北くんが走っている写真もあればよかったんだけどな。カメラを持っていた部員はスプリントリザルトや山岳リザルト、ゴールゲートの近くにいて、この日は誰も彼が走っている写真を撮っていない。私もあの日、給水所で荒北くんと会ったのが最後で、彼が走っている姿をカメラに映すことも、目に焼き付けることもできなかった。
 せめて、誰か写真を持っていればあのアルバムに加えることができるんだけどな……。どうしようもないことを考えて、布団を深く被る。
 今月末に金剛山ヒルクライムレースに参加することになった。明日から受験勉強しながら体力作りに励むことになる。明日もまた頑張ろう……。
 目を閉じると、すぐに眠りの世界に落ちていった。


 違和感がして目を覚ます。目に映ったのは白い天井。……ここは私の部屋じゃない。知っている場所のような気がするけれど、なかなか思い出せない。
 体を起こすと白い壁に白いカーテンが見えた。――この光景には既視感がする。人気を感じて横に振り返る。スツールに荒北くんが座っていた。

「君が、さんだね」
「荒北くん……?」

 なぜ荒北くんが病室にいるのだろう。瞬きをしても目の前にある光景は変わらない。
 荒北くんは組んでいた足を入れ替えて、顎に手を添えて微笑している。

「そうさ、オレは荒北靖友。……といっても、君の知っている靖くんとは全くの別人だけどね。一回君とは話がしたかったんだ」
「ここって病室? 私、なにか怪我でも……?」
「現実の君は無事だよ。あんまりロマンチックじゃない場所だけど、ここで靖くんは君に対して強い決心をした。君と靖くんにとって、ここは切っても切り離せない場所なんだ」

 「今は軽い気持ちで聞いてくれればいいよ。また、オレと会ったときに詳しく説明するからさ」荒北くんは不思議なことを言って、手に持っているカルテに視線を落とす。
 そういえば、なにか変だと思ったら荒北くんは白衣を着ている。これじゃあまるでお医者さんと患者みたいだ。
 格好について問う前に荒北くんの口が開く。

「もともと靖くんはね、福チャンに会ってからは『一人で』影の努力を積み重ねて、三年という短い期間でエースアシストの座に上り詰めたんだ。誰かを好きになることもなく、ただひたむきに自転車の練習に打ち込んでいた。――だけど、奇跡ともいえるサイコロの目が出たような世界で、靖くんは君と出会った。今まで野球や自転車に打ち込んだり、一時期は殻に閉じこもっていた靖くんが初めて心を奪われた。同時にそれが、足枷となった。一時は君を突き放そうとしたものの、フェンスの落下事故が起きたことをきっかけに靖くんは決心した。君のことを二度と離さないと」

 「ここから、興味深い流れになった」荒北くんが強い口調で言った。

「インハイ最終日、エースアシストの役割を果たして棄権する運命は変わらなかったけれど、あの時の靖くんは通常の靖くんよりも長い距離を走ることができた。これは非常に興味深い結果だよ。二度目の挫折を味わってもなお、彼は前に進んだんだ。多くの世界を見てきたオレには、君といる靖くんが一層強い輝きを放っているように見えた」
「…………」
「オレは君に頼みたいことがあるんだ。といっても、君が相当深い眠りに入っているときじゃなきゃできないお願い事だけど。ダメだったら残念だけど他の被験者を探すよ。それもまた一苦労なんだけどネェ」
「ゴメン、さっきから言っている意味がよくわからない……」
「無駄だと思うけど、君にひとつ忠告してあげるよ。しばらく、お人好しは靖くんだけにした方がいいよ。そうしたら君はひどい目に遭わず、オレと再会することもなく平穏な日々が過ごせる」

 「まぁ、無理だとは思うけどね。君は誰かが危険な目に遭っているのを黙って見過ごせない性質だ」荒北くんが悲しそうに目を伏せる。
 さっきからわからないことだらけだ。今目の前にいるのは、私が知っているのとは違う荒北くん。病室の中、医者と患者……いや、実験者と被験者のような関係。これから先、私が荒北くん以外の人に優しくするとよくない未来が待っているという。
 ――今一番気になるのは未来のことだ。それが荒北くんや他の誰かに危険が及ぶ可能性があることを考えたとき、真っ先に口をついて出る。

「ま、待って! ひどいことって一体……!」

 荒北くんからの答えを聞く前に、周囲の景色が白くなっていく。やがてなにも見えなくなった――。


 教室に入り、窓際の後ろから二番目の自分の席に向かう。夢で見た荒北くんは頬づえをついていた。

「おはよう、荒北くん」
「はよ。……ん? なんだヨ」

 ――白衣を着た荒北くんを想像する。

「くすっ」
「へっ!?」
「ゴメン、なんでもない」
「おいコラ待て、今なんで笑った!?」
「ホームルーム始めるぞー! ほら、席についたついた!」

 荒北くんが動揺した直後、担任の先生が教室に入ってきた。それまで散らばっていたクラスメイトが各々の席に戻り、日直の号令に合わせて一斉にあいさつをする。
 笑いをこらえながらあいさつを済ませる。勉強嫌いな荒北くんが白衣を着ている姿なんて全く想像できないや。