栄光のサクリファイス 102話
「いらっしゃいませ」
店に入ると、店員さんがすぐに出迎えてくれた。案内された窓際の席に座り、バッグを置いて一息つく。さっきまで歩きっぱなしだったからようやく休憩できる……。
ほっとしたところで周囲を見渡す。ここのお店は、四月に荒北くんとデートした時に訪れた喫茶店だ。ここに来るのは久しぶりになるけれど、暖かみのある雰囲気は全く変わっていない。そういえばここで働いている金城くんたちとばったり会っちゃったんだっけ。また今日も会っちゃったりして。笑いながらメニュー表に目を通す。……冷たいのが飲みたい気分だし、これにしよう。
テーブルの上に置いてあるワイヤレスチャイムを鳴らす。
「ご注文はァ?」
「えっと、コーラフロート……」
ふと、メニュー表から顔を上げた時。目の前には、ウエイター姿の荒北くんが立っていた。
「…………」
「…………」
荒北くんが気まずそうに目をそらす。
「えぇぇええええええ!? あああ、荒北くん、なんでここにいるのっ!?」
「ば、バカッ、声デケーよ!!」
「ご、ゴメン!!」
お店にいる人が一斉に私を見てる……! メニュー表で顔を隠して、視線を感じなくなった頃に顔を出す。
「……で、もう一度聞くけど、どうしてこんな所にいるの?」
「ほら、自転車って金がかかる上に、大学生になると色々と入用だろ。そのために働いてんだ」
「いいの? こんな時期にそんなことして」
「勉強のちょっとした息抜きだ。だってレース出てただろ」
「それはそうだけど……」
「それに、あんまり働けねェから金城に無理を言ってここでバイトはじめたんだ。バイトに夢中で受験に落ちるなんてヘマしねェよ。……で、もう一度聞くケド注文は?」
「コーラフロート」
「それもいいけどよ、ここのコーヒーお勧めだぜ」
「じゃあ、それで」
「おう」
荒北くんがメニュー表を持って去っていく。びっくりしたぁ……。まさか、荒北くんがこんな所で働いているなんて。
喫茶店で働く荒北くんかぁ。あはは、働いているところうまく想像できないや。
私の中で、喫茶店で働いている荒北くんといえば……
「荒北ー! ダブルベンティヘーゼルナッツアーモンドブラベウィズエクストラホイップウィズチョコレートソースエクストラコーヒーコーヒーフラペチーノライトアイスを頼む!」
「注文多すぎなんだよ東堂ォォ! えっと、ダブルベンティヘーゼルナッツ……? あぁ、くっそメンドクセー! オメーアイスコーヒーな!」
「ストロベリービックパフェにしようかな。……いや、やっぱり、ショコラナッツパンケーキ。あーでも、田所パンも捨てがたいなぁ」
「ゴルァ新開! 注文決めてからボタン押せっつーの! っていうかオメーが今まで言ったメニュー、全部パーティー用じゃナァイ!」
「荒北。アップルパイを頼む」
「……福チャン。ワリィけどこの喫茶店にアップルパイはねーんだ」
「なん……だと……?」
「ボクはプロテインドリンクで」
「それもねぇよバァカ!! あぁくっそ!! 真波は注文する前に寝てるし!! こんな仕事やめてやらぁ!!」
「あわわわわわわ……」
急激に不安になって荒北くんの様子をうかがう。お店の人を困らせてないといいんだけど……!
「」
「ひっ!!」
後ろからかけられた声に体を震わせる。おそるおそる後ろを振り返ると、
「なんだ、金城くんか……」
春に見た時と同じウエイター姿の金城くんだ。なんだ、今日は金城くんもいたんだ。
「荒北が心配か?」
「う、うん。お店の人に迷惑かけてないかなぁって」
遠くにいる荒北くんを見やる。厨房の人に注文を伝えたり、配膳したり……。終始真顔なのが気になるけど、それなりにうまくやっているようだ。
「オレも最初は不安だったが、アイツはうまくやっている。接客態度は……まぁ、あれだが、人一倍嗅覚に優れているだろう? おまけに味の感想もきっぱり言う方だから、この前それを生かしてブレンドコーヒーをリニューアルしてな。そしたら、客からすこぶる評判がよかった。アイツはこの店に大きく貢献してくれた」
「そんなことがあったんだ」
「もともと、短期間でバイトをしたいということで引き受けたが、アイツがここまで貢献してくれるとは思わなかった。今度の給料日、給料をはずもうとマスターの叔父が言っていた」
「荒北にはまだ内緒で頼む」金城くんが小声で付け足す。
すごいなぁ荒北くん。最初は大丈夫かなぁって不安になっちゃったけれど、どうやら心配はいらないみたいだ。
「えーっと、ダブルベンティヘーゼルナッツアーモンドブラベウィズエクストラホイップウィズチョコレートソース」
「ア? 聞き取れなかったらからもう一回」
「は、はぃぃ~っ!」
前言撤回、やっぱり不安だ。ゆっくりと注文のメニューを唱えるお客さんと一生懸命メモしている荒北くんに、金城くんと二人で苦笑した。
コーヒーを飲みながらしばらくゆっくりしていると、店内にいるお客さんが減ってきた。
ウエイター服から私服に着替えた荒北くんが、私の向かいの席に座ってコーヒーを飲んでいる。
「仕事はもういいの?」
「いいや、休憩。あと少ししたら戻る」
「そっか。……あ、コーヒーおいしかったよ」
「淹れたのはマスターだけどな」
「金城くんから聞いたよ。ブレンドコーヒーのリニューアルを手伝ったって」
「あんの野郎ペラペラペラペラ喋りやがって」
知られて恥ずかしいのか、荒北くんの頬が赤くなる。
「で、はなにしに横浜まで来たんだ」
「冬服買おうかなって思って。本当は響子と一緒に来るはずだったんだけど、彼女が急に予定入っちゃって」
「ふーん。付き合ってやりてーけど、オレ今日五時までなんだよなぁ」
「いいよ、そこまで気を遣わなくて」
さすがに荒北くんを女性物ばっかり揃っている服屋に連れ回す気にはなれないし。カップに視線を落とした荒北くんが神妙な顔をした。
「なぁ、」
「ん?」
「なんか今、欲しいモンってあるか?」
「冬服」
そのためにここに来たんだし。そう答えると、荒北くんにため息をつかれた。
「あ、いや、やっぱなんでもねェ。今のは忘れてくれ」
残ったコーヒーを一気に飲んで、颯爽と席から立ち上がる。
「じゃ、オレは仕事に戻るけど、早めに帰れよ。最近駅前に変質者が出るってうわさがあるんだ。暗くなる前に箱根に帰れ」
「子どもじゃないから大丈夫だよ。仕事頑張って」
ひらひらと手を振って、従業員室に行く荒北くんの背中を見送る。
掛け時計を見上げれば、喫茶店に長居してしまったことに気がつく。荒北くんの邪魔になるといけないし、そろそろお店を出よう。
最近、少しずつ冷え込んできた。買ったばかりの服が入った紙袋を携えて手を温めていると、喫茶店から荒北くんが出てきた。
「あ、。オメー待ってたのかよ」
「えへへ。あの後買い物に時間かかっちゃって。せっかくだから一緒に帰ろうかなーって思ったの」
荒北くんが私の手に触れる。「うわっ、つめてっ」軽く顔をしかめながらも、私の手を握ってくれた。
家への帰り道、荒北くんと二人で手をつないで歩く。
「んだ、アイツら」
荒北くんの視線の先には、空き地の隅でなにかを手に持った子どもたち。よく見てみると星座盤を持っている。
「小学校の宿題かな」
「こんな寒いのにご苦労なこった」
空を仰げば、無数の星が光っている。冬は空気が澄んでいるから天体観測には絶好の空だろう。
「オレも昔やったけど、どこに何の星があるのか今となっちゃ全然さっぱりだ」
「北極星もわかんない?」
「ほっきょく……? なんだそれ」
「ほら、あの中で一番強く光ってる星。星空って四季によって変わっちゃうけれど、北極星だけはいつでも見られるんだ。荒北くんにも覚えられる星だと思うよ」
「北極星……か」
荒北くんが空を仰ぐ。
北の位置で強く光を放つ北極星。もし、卒業して離ればなれになったとき、ふと空を見上げた彼はこの星のことを思い出してくれるだろうか。