栄光のサクリファイス 109話

 久しぶりにここに来た。遊具があまりない、広々とした公園。
 平日の今は誰もいないけれど、土日になると野球好きが集まってはにぎわっている。時には、中年のおじさんたちだったり、プロ野球選手を夢見て練習に励む子どもたちだったり。ここでボクは靖友に会ったんだ。

「……荒北靖友。よろしく」

 力強い球を捕らえた時、靖友はやっと自己紹介をしてくれた。
 小学生特有の生意気さをそのまま持ったようなヤツで、先輩には平気で盾つくし、捕手のボクでも時々腹が立ってしまうことを言うし、ケンカなんてしょっちゅうあった。
 その分、靖友とは長い時間を過ごした。気を抜いてしまえばミットからこぼれ落ちてしまいそうなアイツの球を捕るたび、ボクの心が震えたんだ。
 靖友と組めば、プロ野球選手も夢じゃない。つかんだ希望を決して離さないように、やっとここまで来た。
 待ち焦がれていた甲子園を迎え、ここでボクたちは大きな節目を迎えるはずだった。
 ――だけど。八百長にスキャンダル、悪い大人たちの罠にかからないように、万全に警戒したつもりだった。
 だが、気づいた時にはどうしようもなかった! まさか高校野球連盟の会長が大掛かりな八百長試合を仕組んでいたとは思わないじゃないか!
 ボクはまだいい。常に最悪の事態を想定して行動するように心がけている。本当のことを知った時、塞ぎ込みたくなったけれど、なんとかこうして正気を保っていられる。
 だが、今の靖友はどうだろう。アイツには本当に野球しかないんだ。
 小さい頃の夢だった野球に裏切られたとしたら、アイツはひどく絶望するだろう。その時はボクの声も、誰の声も届かない。靖友が捧げた十八年間は、何物にも代えられないくらいに重いのだから。
 強い風が吹く。空を仰げば、灰色だった空はさらに濃くなっていた。

 ◆

八百長だらけの甲子園

 宮崎県の神宮高校が優勝した今年の甲子園。だが、最近になって黒いうわさが浮上している。
 「今年の甲子園は高校野球連盟が仕組んだ大掛かりな八百長試合である」甲子園予選で敗れたとある高校のM監督は語る。

 大正時代から始まり、今や夏の風物詩のひとつとなった甲子園、全国高等学校野球選手権大会。当初は交通の関係などにより73校しか参加できなかった甲子園は今や4000校以上にも上り、たった一つの優勝カップを賭けて熱い戦いを繰り広げている。誰しもテレビや話などで一度は見聞きしたことがあるだろう。三年間、あるいはそれ以下の短い期間で優勝を目指して鍛え上げた選手同士の戦いはプロの試合に比べれば劣るものがあるが、それでも見入ってしまう。

 だが、純粋な戦いの裏には巨額の金が動いている。甲子園のゲームマスターともいえる高校野球連盟(以下高野連と呼ぶ)の経常利益は毎年六億円強となっており、純資産は13億円をも超える。一方、甲子園を目指す高校を見てみよう。野球部に所属する学生が甲子園を目指して熱心に部活動をするのなら一人あたり年間60万円のお金が必要だという。さらに甲子園で一試合戦うには1200万円がかかる。こんなにお金がかかる甲子園だが、もちろん賞金は出ない。優勝したとしてももらえるのはメダルと名誉、選手によってはドラフト入り、地元ならば観光客でにぎわって多少潤う程度だろう。
 通常各スポーツの団体は高校体育連盟という組織に属するのだが、高野連だけは加盟を拒否し続けている。高校体育連盟よりも歴史があり、他のスポーツの中でも一番大きくお金が動いていることが拒否の理由だが、利益を独占したいだけではないかと批判の声も上がっている。

 ここまで聞くとグレーゾーンのように思える高野連。会長交代によりグレーから黒に変わる。サヤマスポーツの前社長である舞園敏明。業績が低迷していた会社を盛り上げた敏腕社長だと言われているが、その実態はマスメディアを利用し小売店に脅しまがいの商法をした結果による利益だという。舞園が高野連の会長になったことにより、高校野球界に激震が走る。
 A校はB校に僅差で負けるように。試合を盛り上げるために、なるべく延長戦に持ち込むように。野球に真剣に取り組んでいる者からすれば激怒しかねない話だが、巨額の札束を手のひらに置かれて話を進められたらどうか。先ほどの話からすれば、監督は息を呑んではいと答えるだろう。無論裏金がまわっていることはバレてはいけない。決して事が明るみに出ないように手を回し、仕組んでいくのだ。M監督は語る。一回戦のS校とM校の熱戦、三回戦のA高のホームランなどはこれによるという。

 どの校が勝っても損することはない高野連。リスクを犯してまで八百長をする理由はあるのだろうか。筆者はこう考える。さらなる収益のためにゲームを盛り上げるのだと。
 実質、会長が舞園になってから甲子園がさらに話題になるようになった。テレビCMには高校球児の出番が増え、ニュースでも必ずといっていいほど取り上げられる。町中を歩けば号外の新聞が配られ、実生活やネットでも野球の話題で盛り上がっている。こうして全国で話題になった甲子園は連日満席で過去最高の利益を得たという。Y校のバッテリーで有名なA、N、ドラフト一位で入団したSは舞園の手のひらにある役者だ。今やテレビで有名な彼らは、舞園プロデュースでデビューしたといっても過言ではない。

 今や八百長だらけの甲子園。当社はこれからも引き続き調査する。

(X月X日X時X分 タブーニュース)


「ねぇねぇ見た? この記事」
「あぁ、もう見たよ」
「八百長なんて嘘くさっ。タブーニュースまた訴えられちゃうよー」
「なに言ってんだよ。八百長なんて公になっていないだけでゴロゴロあるんだぜ」
「またまたぁ」
「野球もずっと前に大きな八百長があったんだよ。名前くらいは聞いたことあるだろ? 黒い霧事件。西の球団の選手の何人かが暴力団とつながっていて、そいつらの望む試合をしたんだと」
「……接待?」
「ちげーよ。野球賭博ってあるだろ。あれの収益のためだよ」
「でも賭博って、禁止されてるんじゃないの?」
「禁止っつったって全部取り締まれるわけじゃないだろ。麻薬と一緒だよ。八百長試合で活動資金の一部を稼いでるんだって刑事の兄ちゃんが言ってた」

 隣で下品に笑う二人組に耐えられず、残りのハンバーガーをすばやく口につっこんで席を立つ。離れた位置にあるゴミ箱に包み紙を捨て、トレイを置いて足早にハンバーガーショップを出る。
 横浜綾瀬の制服を着た男が、ガラス越しに今も笑い続けている二人組をにらむ。

「最近までもてはやしてたくせに、急に手のひら返しやがって。もしわざと負けろっつってみろ。アイツは容赦なくぶん殴るぞ」

 脳裏にはマウンドに立つ荒北の姿。アイツが八百長など、絶対にするはずがない。

「だよな、荒北」

 曇天の空を仰ぎ、横浜綾瀬高校の一塁手である古館はつぶやいた。

 ◆

 横浜綾瀬高校に帰った後、靖友は鬼気迫った表情で監督に真実を問い詰めた。

「監督、本当のことを教えてくれよ!!」
「靖友、落ち着いて!」

 偶然の出来事から真実を既に知っているボクは、靖友の腕をつかんで彼を宥めることしかできなかった。
 あの日聞いた会話が、実はボクの勘違いで八百長など皆無だったと思いたい。だが、振り返った監督の顔はこれが真実なのだと告げるように冷たい目をしていた。

「それを知ってどうする。ドラフト入りしたお前たちはオレを糾弾するか? したいなら好きにしろ。だが、その時はお前たちも道連れだ」
「マジかよ……」

 絶望に靖友の体が揺れる。靖友の体を支え、監督を見据える。

「……なんで舞園に協力なんてしたんですか」
「お前らは高校野球にどれくらいの金が動いてるか知ってるか? 甲子園で一試合戦うごとに千万近くかかるんだぞ。下手したら家が買えちまう。よく予選で善戦したって涙ぐんでいるヤツがいるが、オレに言わせれば金をドブに捨てたようなモンだ。しかも、大人たちが汗水流して働いて、善意で出した金だから余計にタチが悪い。……最近の甲子園は少子化もあって、低迷化してきた。いっそのこと甲子園は廃止にして、もっと平等で安価な方法で大会を開こう。物事を深く考えず、そう言う輩だって出てきた。こちとら好き好んでガキの面倒見てるワケじゃないのにな!!」

 自然と監督をにらんでしまう。前々から厳しい監督だとは思っていたが、まさかここまで私利私欲に塗れていたとは思わなかった。
 ……決してこういう大人にはなりたくない。そう思いながら監督の言葉に耳を傾ける。

「その時、舞園さんが会長の座に立った。オレの言うとおりにすれば、来年はもっといい報酬が出る高校へ手配してやる。オレはそれに乗っかっただけだ」
「こんなのは野球じゃない!! 台本が用意されたただのお遊戯会だ!!」
「高校野球なんざただのお遊びだろう!! 学生は学生らしく学業に専念すりゃあいいものを、プロ気取りで野球をやる!! いいよなぁ学生は負けても逃げ場があって!! 本物のプロなんざ、結果を出さなきゃそれで終わりだっつうのに!!」

 「お前たちにいいことを教えてやる」監督の口元が歪む。

「お前たちはまだまだ発展途上のバッテリーだ。たまたま舞園さんの目にとまって、人気者の二人に仕立て上げられただけだ。お前たちが入団する予定のオリオンズのオーナーは舞園さんがらみだという。お前たちはこれから、舞園さんの操り人形になるんだ。もちろん、このままちやほやされて終わりじゃない。舞園さんだったらそうだなぁ……。どっちかが治る見込みのない故障をして、どっちかが涙を飲んでグラウンドに立つ。そういう感動ストーリーを仕立て上げそうだ」
「このっ――!!」

 靖友の拳が振り上げる。ボクは高く手を伸ばして、靖友の手をつかんだ。

「やめろ靖友!! この人を殴っても何もならない!!」
「ムカつくことなんてしょっちゅうあったけどよぉ、それでもオレはアンタを信じてついてきたんだ!! なのにこの仕打ちっていくらなんでもないだろ!!!」

 針野監督は甲子園の時に肘を故障してプロ野球入りを断念したという。針野監督にとって、甲子園を越えてドラフト入りしたボクたちはとても憎らしい存在だったのだろう。
 ……どんな理由にしろ、バッテリーを傷つけることは絶対に許せない。
 羽交い締めにしても叫ぶ靖友の前で、監督が去っていく。


 監督が去っていった後、靖友はようやく静かになった。

「……お前、前から気づいてたろ」
「……合宿の夜、眠れなくてランニングに行こうとしたら、外で監督が電話で誰かと話してたんだ。ほんの好奇心で会話の内容を聞いたら、八百長をほのめかす話だった」
「……なんで、オレに言わなかった」
「あの時はまだ証拠がなかったし、ボクは監督を信じたかった!! それに、お前に言ったところでどうなる!? 監督の胸ぐらでもつかむつもりか!? 会長に直談判でもする気か!? ボクたちは何のためにここまで来たんだ!? 後戻りするにはなにもかも遅すぎたんだよ……!!」

 気がつけば涙が零れ、靖友の前でみっともなく泣く。

「……甲子園は準優勝に終わったけどよぉ、オレなりに精一杯投げてきたつもりだった。それがまさか、茶番だったなんて」
「靖友……」
「今日はもう疲れた。放っておいてくれ」

 冷たい口調で言うと、靖友が寮に向かって歩いていく。……ボクは、どうすればよかったのだろう。
 週刊誌に告発でもするか? そしたら靖友の未来はどうなる!?
 ボクだけがつらい目に遭うのならまだいい! だが、バッテリーまで巻き込むことはないじゃないか……!
 この前会った彼女のことを思い出す。彼女が靖友の心の拠り所になってくれれば、まだ希望はあった! だけど……

『フラれたよ。観覧車に乗った時にゴメンゴメンって謝られて、オレが眼中にないことがよくわかった』

 「最後まで意味わかんねーヤツだった」寂しげに語る靖友の顔は、はっきりと覚えている。
 もし、さんが靖友にもっと心を開いてくれれば……。……いいや、彼女を責めるのは筋違いだ。
 一番責任あるのは八百長を仕組んだ舞園……いや、大きな罠に気づかなかったボク自身だ。


 長い回想を終えた時、携帯が振動した。同じ野球部の友近からだ。

『もしもし南雲? 今どこにいるんだよ』
「内緒。……ちょっと、ね」
『……うわさは聞いたよ。昨日あんなことがあったんだ。学校サボっちまうのも無理もないよな。今日荒北の姿も見えないんだけどさ、アイツさっきから携帯に連絡しても全く通じないんだ! バカなこと考えてなきゃいいけど』

 靖友と連絡がつかない……? 停止しそうな思考を働かせて、考え込む。
 これからアイツは一体どうするのだろう。監督や大人たちに抗議するか? ……いや、抗議したところでシラを切られるのはアイツにもわかるはずだ。
 だとしたら、靖友がとる行動は――。
 最悪の事態を想像する。
 降り出した雨にも構わず、ボクは地面を蹴って走り出した。