栄光のサクリファイス 115話

 試合は三回表。ここまで両チームとも無失点のままだったが、ここに来て試合がようやく動き出した。
 バッターボックスに立ったのは三番打者の加賀。堂島学園のエースの二度目の登場に、荒北と南雲や観客までもが息を呑んだ。
 キャッチャースボックスにいる南雲が荒北に向かってサインを送る。
 そうだな。コイツとストレート勝負をするのは終盤でいい。序盤から点を取られるのはゴメンだ。
 南雲の配球に納得した荒北は両腕を振りかぶり、投球する。
 アウトコースギリギリに投げた球は、加賀の構えるバッドの下をすり抜けて、南雲の構えるミットに収まった。

「ボール!!」

 審判の声が響く。

「今の試合、よーく見といた方がいいよー。もしかしたら加賀がヒットを打つかも」

 前傾姿勢で試合を見る田島くんに、東堂くんがあきれた顔をする。

「田島くん、君はどっちの味方なんだ?」
「えへへ、両方」
「ネットは荒れたコメントが目立ちますね……。どうせこれも八百長なのだろうとみんな口を揃えて言っています」

 田島くんの膝にあるタブレットの画面には、投球の場面と視聴者のコメントが右から左に流れている。
 コメントをよく見た時、中傷的なコメントの多さに憤りを感じた。画面越しに見ている人たちは、荒北さんたちがどんな思いでこの試合をやっているのか考えようともしない。耳にしたうわさを鵜呑みにして、好き勝手に物を申している。
 ――その時、遠くから軽快な音が聞こえてきた。

「加賀が打ちました!」

 織田くんが叫ぶ。弧を掻いたボールが外野まで飛んでいく。

「三塁にいた遠藤が本塁に行きました!」
「先制点は堂島学園か……」

 荒北さんが深く帽子を被る。
 その後、四回裏で横浜綾瀬が一点を取った。
 振り出しに戻った状態で五回の表は荒北さんが無失点に抑え、裏に入る――。


 五回裏、横浜綾瀬の攻撃の回でセカンドの間宮が打席に立った。
 ダグアウトにいる三島がサインを送る。間宮がバッドを横に構え、バントの姿勢を取る。
 ピッチャーの清水がボールを投げる。ボールを正確にバッドに当て、走る。
 転がったボールを捕らえた内野手が一塁に送球すると同時、三島が一塁を踏んだ。小さな砂埃が舞い、選手や観客たちが一瞬にして静かになる。

「セーフ!」

 審判の判定に横浜綾瀬の応援席にいた観客が盛り上がった。吹奏楽部の演奏が流れ、ダグアウトにいた荒北たちがほっとひと息をつく。
 その後、ヒットとスクイズを重ね、三塁まで進塁した間宮は無事に本塁を踏んだ。

「三島が本塁を踏みました」
「二点か……。まだ気が抜けないな」

 売店で買ったフライドポテトを食べる手を止めて、五回裏の熱戦に見入る新開。

「互いにいい勝負といったところか」

 福富がスコアボードを見上げる。
 ここまでの試合は1-2。ロードレースに添って考えれば、試合は中盤になって動き出す。
 もし、中盤で圧倒的な差をつけられてしまった場合、不利な方は無意識のうちに負けることを意識してしまうだろう。
 守備に特化した横浜綾瀬は、今日の試合に勝つことができるのだろうか――。


『さぁ、次の試合は六回表! こんなにきわどい戦いをするなんて、裏でなにか仕組んでるんじゃないですかぁ~?』
「……あの配信者はどっちの味方なのだ?」

 織田くんのタブレットをのぞき込んだ東堂くんが眉根を寄せる。

「そ、その、彼はズバズバ物事を言うタイプの人で……。で、でも、口は悪いけれど決して悪い人じゃないんですっ」

 織田くんが慌ててフォローするも、東堂くんは冷ややかな目でタブレットを見ている。
 試合は中盤に入った。これからどうなってしまうのだろう……。


 堂島学園のキャプテンであり、今日の試合でバッターのコーチ役を務める日比谷はダウアウトからグラウンドを見ていた。
 キャッチャースボックスに入る南雲を目で追い、先日の出来事を思い返す。

『日比谷くん。ボクたちと一緒に練習試合をしないか?』

 何週間か前に電話で南雲から練習試合の申し込みを受けた時は驚いた。
 ネットで八百長に絡んでいるといううわさの横浜綾瀬の連中が、うちに練習試合を申し込むだなんて……。話を深く聞けば非公式の試合というじゃないか。
 堂島は横浜綾瀬に比べて貧弱なチームだ。彼らの学校のように野球に関する備品や施設が揃っているわけでもない。ただ、たまたま野球に才能のある人間がそこそこ集まって、こうして肩を並べることができる。自分や加賀が卒業したら元の弱いチームに戻るだろうと日比谷は考えていた。

『野球のことをバカにしているヤツらに、本当の野球の魅力をわからせてやりたいんだ。……ボクはプロ野球入りの話を蹴るつもりでいる。この試合が後でどんなことになるかも、充分にわかっている』

 そこまで言われたら、断る気にはなれなかった。春の大会で加賀は故障して、療養のために夏の大会には出られなかった。卒業する前に一度対戦したいと言っていたし、これはいい機会でもある。
 ――だよな、加賀。
 加賀がバッドを振る。荒北が投げたカーブは、ホームランへと変化した。

「加賀がホームランを打ちました!」

 バッドに跳ね返さたボールが観客席に飛んでいく。
 スコアボードの六回表に3という数字が表示される。
 4-2。大きく離れた点数に、不安な気持ちが大きくなる。
 マウンドにいる荒北さんは誰もいなくなったバッターボックスをにらみつけていた。

『おおっと、どうしたYチーム! このままじゃDチームに勝てないぞー!』

 高校名を伏せた配信者の煽りがタブレットから聞こえてくる。
 あまり認めたくないが、配信者の言うとおりだ。


 攻撃と守備が入れ替わっている間、中継席にいる配信者のたっくん――遠藤拓海は適当な宣伝動画を流し、休憩を取っていた。
 おもしろい試合を見せてやるから中継を頼むと言われたものの、いざ見てみればつまらない試合だ。プロ野球に比べて高校野球は甘さが目立つ。動画を見ている連中が退屈し始めているのも、口には出さないが共感できる。
 結局、野球含めスポーツはこんなものなのだ。八百長さえなければ見るに耐えない試合が山ほどある。
 なぁ、横浜綾瀬さんたち。お前たちがあがいている間に視聴者はどんどん野球から離れつつある。お前らはこんな無様な試合を見せるつもりだったのか?
 心の中で、マウンドとキャッチャースボックスに佇む横浜綾瀬の二人に問いかける――。


 試合は七回表に入った。あと二つストライクを取れば、無失点で抑えられる。
 手を組んで、祈るような気持ちで試合の行く末を見届けていると、東堂くんが小首をかしげた。

「どうしたのだ、新開。荒北くんをじっと見て」
「気のせいかな。さっきの回で荒北くんがダグアウトに戻る時、やけに歩くのが遅かったような気がするんだ」
「ここまで一人で投げているからな。きっと疲れているのだろう」

 新開くんと東堂くんの二人の会話を、噛み砕いて考える。
 歩きが遅い荒北さん。たしかさっき、二塁に走った時も膝に手をついていたような――。

「ストライク!」

 荒北さんの投げたボールが、南雲くんのミットに収まる。
 ――同時に、荒北さんが崩れ落ちた。南雲くんがヘルメットを脱ぎ捨て、荒北さんに駆け寄る。

「荒北さん……?」

 その時、ようやく私は気がついた。ミヅキが言っていた大事な秘密の真実を。
 あぁ、今まで私は彼のなにを見てきたのだろう!

!!」

 福富くんの呼び止める声にも止まらず、観客席から屋内に飛び出す。
 急いで階段を下りながら、今まで見落としてきたことを思い出す。

『もう少し荒北くんの活躍見たかったよ』
『春になったら南雲くんと一緒にプロ野球入りが約束されているんですよ。こんな試合で全力を出してはいけないとの監督の判断なんでしょう』
『さっきの荒北のボール、やけに甘かったな』
『なーんてな。いまさら他のスポーツに逃げれない。オレは根っからの野球バカだから』

 彼と真剣に向き合っていれば、故障しかけの膝を抱えていたことにすぐに気がついたはずだ!!
 荒北くんを守るって決めたはずなのに! 今日の今日までなにも気づかなかった自分を恨めしく思う!
 このまま荒北くんがボールを投げ続けたら、彼は膝を壊して野球ができなくなってしまう。
 そしたら荒北くんはなにを糧に生きていけばいい!? 空っぽになってしまった荒北くんは、いずれ道に迷うことを知っている!!
 荒北くんは、マウンドを下りるべきだ――!

「荒北くん!」

 控え室に入ると、荒北くんは顔を歪めて長椅子に座り、テーピングを受けていた――。