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さんは卒業したら進学? それとも就職?」

 放課後、進路指導室で担当の女教師に直球で聞かれた。対する私の答えは――

「まだなにも決まっていません……」

 我ながら情けないと思う。一応、荒北くんに聞かれたあの日からそれなりに悩んでいるけれど、私の行きたい道はいまだに見つからないままだ。

「じゃあ、今やりたいことっていったらなにが浮かぶ?」
「しいていえば、部活でしょうか」

 女教師がため息をつく。やりたいことから進路のアドバイスをしようと思ったのだろうけれど、私の場合それでは解決できない。

「……さん。部活に熱心なのはいいけれど、これから先どうするか少しずつ考えていかなきゃダメよ?」

 考えてますよ……と心の中で思っている間に話が終わり、一礼して進路指導室を後にする。
 今日は三年に進級して初めての進路指導の日だ。進路指導は午前中の休み時間の合間から生徒の自由な時間を割いて行われていたが、先生が想定していたよりも時間がかかってしまい、私の番が来る頃には放課後になってしまった。
 校舎を出て自転車部に行こうとするけれど、先ほどの進路指導の先生の言葉が引っ掛かって気分が重い。階段の段差に座り、遠くを見る。遠くには走りこみをしている陸上部の姿が見えた。

 これから先どうするって言われても、やりたいことが見つからない。
 答えを先延ばしにするために、とりあえず大学や就職にするとしても、学部や業種といった選択が常についてくる。どれを選べばいいかわからないし、大学に進学となると高校の時と訳が違う。多額な学費に、適当な気持ちで選択する気にはなれないのだ。
 好きなものから探すとしても無理だ。自転車以外に熱くなれるものなんて見当たらない。
 自転車だって、福富くんをはじめとしてうまい人をこの目でたくさん見てきた。かつての足利峠の登坂は達成感があったけれど、今も人と競うよりは自由に走りたいって思う気持ちが強いし、プロになる気はさらさらない。
 観覧車に乗ったあの日、自分の進路を即答した荒北くんを思い出す。そういえばあの時、洋南大に行くことは聞いたけれど、その先の話を聞いてなかった。荒北くんは将来なにになりたいかまで考えているのだろうか。いまさらながら聞いておけばよかったと思う。

「はぁ……」
「はぁ……」

 私の発したため息と同時に、もう一人分のため息が聞こえた。
 隣を見ると、制服姿の東堂くん。東堂くんは私に気づくと、

「どうしたんだいちゃん。悩み事ならこの美形に相談したまえ」
「実は……進路のことで困っていて……」
「奇遇だな! オレもだ!」
「そ、そうなの?」
「あぁ、そうだ」
「なかなか進路が決まらなくて……」
「その気持ち、よーくわかるぞ」

「やりたいことが見つからないんだ」
「やりたいことがありすぎてな」

 あれれ? 同じタイミングで言った言葉がかみ合わない。東堂くんは私とは違う方面で進路に悩んでいるみたいだ。

「なんだ、ちゃんは見つからないのか」

 東堂くんがけらけらと笑う。

ちゃんは女子じゃないか。女子なら、最後に進む道は一つだろう」
「それって……」

 空を仰いで妄想してみる。


「ただいまァー」

 最近引っ越したお洒落な新築分譲マンションに、スーツ姿の荒北靖友(26)が帰ってきた。いつの間に目が悪くなったのか、黒縁メガネをかけている。

「おかえりなさい」

 玄関のドアが開く音を聞きつけて、とたたたと走っては出迎える私、荒北(26)。彼とは結婚して一週間経ったばかりの新婚さんだ。お互いの左手の薬指には銀色の指輪がはめられていて、角度によってはきらりと指輪が輝く。
 彼のスーツの上着とカバンを持ち、一緒に部屋の中に入る。

「ごはんがいい? お風呂がいい? それとも……ブエルタ・エスパーニャのDVDがいい?」
「じゃあごはん」
「ゴメン、ごはんは今から作るところで……」

 さっきまで慌てて掃除をしていて、まだごはんを作っていない。そろそろ靖友くんが帰ってくるし、どうしようと思っていた矢先に彼が帰ってきて……。靖友くんは仕事で疲れているのに、肝心のごはんが用意できてなくて面目ない。

「じゃあ、今日はオレが作るヨ」
「でも……」
「いいのいいのォ。オレ、料理嫌いじゃないし」

 靖友くんが台所に立つ。ワイシャツの上に、私が愛用している花柄のフリル付きエプロンを装備して包丁を握る。規則正しい音を立てながら肉や野菜を切り、しばらく待つこと数分。テーブルの上にはしょうが焼き、ごはん、みそ汁、サラダ、厚焼き卵……立派な和食料理が並んでいた。もちろん、全部靖友くんの手作りだ。
 エプロンを脱いだ靖友くんと二人で「いただきます」と合掌してごはんを食べ始める。

「おいしい……!」
「喜んでもらえてよかったァ」

 靖友くんが柔らかく笑う。
 いつの間にか料理がうまくなって、掃除もできて洗濯もばっちり。仕事もできるオールラウンダー。高校の時は面倒くさがり屋だったけれど、進んで家事の仕事を手伝ってくれるし、もし今旧自転車部三年で夫にしたいランキングを集計したら靖友くんが一位になるだろう。そんな彼に、私は毎日甘えっぱなしで……
 って。いやいや。いやいやいやいや!


「そんな未来は嫌だなぁ……」

 妄想を中断して頭を抱える。
 ツッコみどころはたくさんあったけれど、それらは置いといて最後のはダメだ。これじゃあまるで荒北くんに養ってもらっているみたいだ……!
 楽できていいなぁって思う気持ちはあるけれど、私にもプライドというものがある。お嫁さん、もしくは専業主婦という選択肢は今の時点ではあんまり考えない方がいいだろう。
 今のは私の勝手な妄想で、必ずしも未来はこうなるってわけじゃないけれど。今まで荒北くんの手料理三回も食べたことがあるし、そう考えるとこの未来はなきにしもあらず。人としてダメな未来に、なんとしても抗わなきゃ……!

「どうした、ちゃん?」

 東堂くんが不思議そうな顔をする。妄想が長くなりすぎたようだ。

「なんでもない。っていうか、私もちゃんとした仕事したいなぁ」
「むむ。お嫁さんという将来はいいと思ったのだが」
「その選択肢は数年後に改めて考えるよ……」
「そうか」
「私のことは置いといて。東堂くんはなんで進路悩んでるの?」
「ふっふっふ。実はここだけの話、実業団に誘われていてな」
「本当っ!?」

 声を大にして驚いてしまった。この若さで実業団にスカウトされるって、相当すごいことだ。

「ま、オレは天才美形クライマーだからなっ! それほど有名なチームではないのだが、実業団に入るのも悪くないと思っている。卒業した後も巻ちゃんとの山の勝負は続くのだからな」
「すごいなぁ。実業団、いいと思うよ」
「あぁ。だが、オレは旅館の息子だ。家を継ぐという選択肢もあるし、ここはいっそのこと、おもいきってタレントやモデルになるというのも悪くない」
「タレント……」

 東堂くんがテレビに出ている光景を想像してみる。
 台風並みのテンションに、東堂くんの相手をする人はきっとたじたじになるだろう。想像したら笑いがこみ上げてきた。

「なぜ笑った!?」
「ゴメンゴメン。なんだか、相手の人が困っているところ想像したら笑いが」
「オレはお笑い芸人かなにかかっ!?」

 笑いが収まり、目の前の陸上部を見る。走りこみをしていた陸上部はいつの間にか集まってミーティングをしている。

「そのうちちゃんにもやりたいことが見つかるさ」
「……うん」
「さて、そろそろ行こう。あんまり遅いとフクに怒られてしまう」

 東堂くんと一緒に立ち上がり、共に自転車部に向かう。
 私も、東堂くんのようにやりたいことがたくさんあったらいいのに。暗闇を進むような感覚に近い悩みに比べれば、やりたいことが山ほどある方がきっといい。