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好きな男の子の部屋に私一人だけ。荒北くんの部屋に入るのは初めてで、周囲はもちろん初めて見るものだらけだ。……今ならなにをしてもバレることはないだろう。頭に「あること」が浮かんで固唾を飲む。
荒北くんにはじろじろ見るなって言われたけれど……でも、気になるよねっ!
ドアに耳をあてて荒北くんが近くにいないことを確認すると探索開始。部屋の中央に立って周囲を見渡す。一番気になるのはさっき荒北くんが慌てて物を入れたであろうクローゼット。開けてみたいけど、これを開けたときには中から物が雪崩のように出てきて、片付けている間に荒北くんが帰ってきて怒られる……そんなオチになりかねない。クローゼットはまた次の機会にしよう。クローゼットの次に気になるのはやっぱり……。
左にはベッド。荒北くんがどのメーカーの布団を愛用しているのか気になる……わけではなく、重要なのはその下だ。時々ドラマや漫画で見るけれど、男の子の部屋のベッドの下には秘密が隠されているのだ。
なにも、荒北くんの弱みを握りたいわけじゃない。ただ私は、荒北くんのことをもっとよく知りたい。長い時間一緒に過ごした故に荒北くんのことはわかったつもりでいるけれど、まだ私が知らないことはたくさんあると思う。好奇心も正直あるけど、これはその側面を知るための第一歩。
床にうつ伏せになって、ベッドの下をのぞいてみる。やっぱり、荒北くんのことだからそんなのないかなぁと思ったその時――!
「……あ」
奥に一個のダンボールがあった。手を伸ばしてダンボールをつかみ、お天道様の下に引っ張りだす。
引っ張りだしたダンボールはもともと梱包用のテープで封されていたけれど、きれいに切られていて開封済みだ。宅配便で受け取った物なのか、受取人が荒北くん名義の送り状が貼ってある。
そっとダンボールのふたを開けると、中には本のような物が入っていた。もしかしてこれは……。
一瞬、本当に中を見ようかどうか迷ったけれど。ここまで来た今、引き返すわけにはいかない。
意を決して中にある物に手を伸ばすと――
「おい。見ンなっつったのによりによって見るたァいい度胸してんじゃねーか」
我、一生の不覚なり。怖くて後ろを振り返ることができない。
「で、どうして部屋の中ガサ入れしてたんだよ?」
「ちょっとした出来心で……」
目の前には腕を組んで仁王立ちしている荒北くん。私はといえば、頭を垂れて正座をしている。
「その箱見つけた時、中見るのやめようと思わなかったワケ?」
「少し思ったけれど……でも、荒北くんがどういう女の子が好きかなって思ったらつい……」
「アァ? どうしてそういう話につなが――」
荒北くんの顔が真っ赤になる。時間差でベッドの下に隠す定番の物を思い浮かべたらしい。荒北くんは頭をかいて、
「オレはのことが好きだ。それ以外、なんもねェよ」
さらりと恥ずかしい台詞を口にして、あぐらをかいて座る。ダンボールを自分のもとに寄せてふたを開けた。
「まっ、待って荒北くんっ! 自分から傷口広げなくていい――」
「ンなのじゃねーよっ!!」
キレ気味な荒北くんが中から取り出したのは一冊の本。巻島くんがよく見ている素肌まぶしい女の人が表紙……ではなく、焦茶色の布地に、金色の文字の刻印がある。
「なに、それ」
「アルバムだよ」
荒北くんがテーブルの上にアルバムを置いて表紙を開く。そこには、小さい頃の荒北くんの写真が何枚もあった。
犬と写っている写真。荒北くんの面影がある女の子二人と写っている写真。
「これが、オレの誕生日の時に言ったアキちゃん。こいつはオレの妹二人で、こっちはガキの頃によく遊んでたダチ。……で、こっちが」
ページをめくると、野球のユニフォームを着た荒北くんがいた。小学校低学年くらいだろうか、ボールを投げている時の写真が多い。他にも、普段の練習で仲間とふざけあったり、試合中には真面目な一面を見せたり。今の荒北くんでは見ることができない、野球に打ち込んでいた時の写真が何枚もあった。
一枚一枚食い入るように見る。荒北くん、本当に野球が好きだったんだな。
アルバムのページが進むと、小学生から中学生の時の写真に変わった。そこには、荒北くんの姿と、南雲くんや新しいお友達が写真に写っている。
中学生になった荒北くんは小学生の頃と比べて、目鼻がすっきりして大人っぽくなった。この頃も変わらず野球に打ち込んでいる。
また写真を一枚一枚じっくりと見る。この試合、熱戦だったようだけど荒北くんは頑張ったんだろうな。この写真では南雲くんとは別の男の子と笑い合っているけれど、この子とも仲よかったのかな?
気がつけば自分の顔がほころんでいることに気がついた。同時に、まぶたの裏側が熱くなっていることにも気がついた。写真を見て悲しい気持ちになったわけじゃない。荒北くんがたどってきた道を、写真を見ることで思い浮かべることができて……こんな道をたどってきた男の子と出会えたことが、本当に奇跡のように思えたからだ。
「アルバムなんて見返す趣味ねェけどよ、いつの日かに見せようと思って少し前に実家から送ってもらった。福チャンや新開と違って、オレとお前はついこの間のことしか知らないから……昔のオレを知ってもらうには、これが一番てっとり早いと思った。……不思議なモンだな。前はもう二度と、昔の自分を見たくないって思ってたのに」
照れくさそうに語る荒北くんに信頼を感じる。もし、私がただの部活仲間だったら荒北くんはここまでしてくれないだろう。
次の物語が知りたくてページをめくると、真っ白。写真は一枚もない。
「ワリィ。そこで終点みたいだな」
アルバムの側面を見ると、あと四分の一ほど開かれていないページがある。
「中二の時、肘を壊して野球をやめた。そっから写真は撮ってねェんだ」
寂しそうに笑う荒北くん。私はすぐに、
「部活で撮った写真、あるよ? 荒北くんが写った写真もたしか……」
「わざわざオレのアルバムに入れなくていい。そのアルバム、親が勝手に写真撮って、親が勝手に作ったモノだし。どっかのバカチューシャみてェに自分の写真見て酔う趣味ねェよ」
「……それでも、私はこのアルバムの続きを作りたい」
アルバムの表紙をそっとなでる。
小さい頃に野球に励んでいた時のように、今も自転車の頂点を目指してひたすらに頑張っている荒北くんの写真を加えたい。そしていつか、荒北くんや自転車部の誰かがこのアルバムを見たときに「こういう時もあったな」って昔を懐かしんでくれたらとてもいい。
「じゃ、それに貸すヨ。写真を増やすなりなんなり好きにしてくれ」
ぶっきらぼうに言ったかと思えば、少しだけ顔を背けて、
「あと、お前の写真も入れろ。そしたら、卒業した後少しは寂しくなくなるから……」
「……うん」
荒北くんの言葉に顔が熱くなる。私の写真、いいのあったかな。今写真加工もできるから、特別にきれいなものを加えておこう……。
そう思っているうちに荒北くんはダンボールの中からなにかを取り出した。
「そういや、もう一個見せたいモンがあるんだ」
荒北くんが手に持っているのはタブレット。電源を入れて、タブレットを操作する。
「準備完了。これつけろ」
荒北くんがイヤホンの片方分を差し出す。なんで片方だけなんだろうと思いながら耳につけると、余った片方は荒北くん自身の耳につけられた。
「ちょうど動画もあったんだけどよ……」
タブレットに映ったのは野球の試合の動画。マウンドに立っているのは荒北くん。防具で顔がよく見えないけれど、キャッチャーは南雲くんだろうか。割れんばかりの大歓声の中、荒北くん属するチームは守りの回だ。
「ほら、今の投げ見ろよ。現役ン時は結構すごかったんだぜ」
一時期は野球を見るのも嫌だったって前に教えてくれたけれど、今の荒北くんはその過去をみじんも感じさせないくらいに昔の思い出を見ては笑っている。
動画に集中しなきゃいけないのに、お互いに同じイヤホンを着けている荒北くんとの距離を意識してしまって、もしかしたら音が聞こえちゃうんじゃないかっていうくらいに心臓は大きく波打っていた。
動画が終わると、荒北くんは大きく咳込んだ。
「げほっ、げほっ」
「大丈夫? お水あるよ」
ミネラルウォーターを差し出すと、荒北くんは「サンキュ」と言って一口飲んだ。
「昨日よりはだいぶ楽になったんだけどな。……ったく、インハイ前だってのに風邪ひくなんて風邪に腹立つ」
「あはは……。ここに来る前、風邪によさそうな物買ってきたんだ。お腹減ったらこれ食べて」
袋を指で示すとすっと立ち上がる。荒北くんは瞬きをして、
「もう帰るのか?」
「うん。あんまり長居すると荒北くんの風邪治らないし」
私にうつって治ればいいけど、うつらずに荒北くんの風邪がひどくなったら本末転倒だ。せっかくここまで手配してくれた福富くんにも向ける顔がない。
「……そっか」
名残惜しいという私の気持ちが荒北くんにも伝播したのだろうか。荒北くんは寂しそうな顔をして、クッションから立ち上がった。
ドアの前に行くと、荒北くんが見送ってくれる。
「見舞いに来てくれてありがとう」
「うん。もしなにかあったら私や福富くん、誰でもいいけど頼ってね」
「ただの風邪だし、明日明後日には治ってるだろ」
「じゃあ、治ったら学校でね」
「あぁ。またな」
そっとドアを閉める。
……もし、将来一人暮らしの荒北くんの家に訪れたらこんな感覚なのかな。そんなことを考えたら、また顔が熱くなった。
男子寮を出て部室に戻ると、パイプ椅子に座った福富くんが一人。資料に目を通している最中で、私に気がつくとびっくりしてパイプ椅子から転げ落ちた。
「はっ、早かったな! まさか荒北に――」
「襲われてない! 荒北くんの身体のことを考えて早めに帰ってきたのっ!」
幼なじみのボケのせいで、さっきまでの幸せな気分がどこかに飛んでいってしまった。ため息をつきながら福富くんに手を差し出す。福富くんは私の手をつかんで立ち上がった。
「織田くんは?」
「今メンテナンスの補助にまわっている」
「じゃあ私もそっちにまわるよ」
部室を出ようとすると、福富くんに「待て」と呼び止められた。きょとんとして振り返る。
「お前に渡したい物がある」
福富くんが足元に置いたバッグからなにかを取り出して私に渡す。渡されたのは専門学校や大学の紹介冊子だった。
「この前言われた物を用意しておいた。この学校なら実績もあるし、お前の進みたい道からそれることもないだろう」
「ありがとう」
これなら学校の選定がしやすくなる。福富くんはわずかに口元をほころばせて、
「まさか、合宿のうちに進路を決めるとはな」
「私自身もびっくりしてるよ。教える仕事って、ただ教えればいいっていうものじゃないし、想像以上に大変なこともあると思うけれど……。それでも、この仕事がやりたいんだ。最初のきっかけをくれた福富くんには頭が上がらないよ」
「オレはなにもしていない。お前がオレの背中を追っただけだ」
福富くんと目が合う。互いに微笑すると、部室のドアが開く音がした。
「さんっ! いるなら自転車のメンテ手伝ってくださいっ」
片手にスパナを持った織田くんがまくし立てるように言った。
「わっ、ゴメンゴメン」
福富くんを一瞥して、急いで部室を出る。
外に出ると、まぶしい太陽の輝きに目を細めた。久しぶりに雨が降らない空の太陽はきらきらと輝いていて、もうすぐ夏が近づいていることを実感させられる。
インターハイまであと一ヶ月。夢焦がれていた三日間は、もう目の前にある。