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「どうしよう~……どうしよう~……」

 部室の外のベンチに座って一人頭を抱える。
 さっき荒北くんを見た時にやっと気がついたんだけど、荒北くんの誕生日プレゼントのことすっかり忘れてた! 当日色々あって渡せなかったから、せめて時間をかけていい物考えてそれをあげようって思ってたのに……! いつの間にか、きれいさっぱり私の頭から抜け落ちていた!
 荒北くんはいいよって言ってたけど……そろそろなにかあげた方がいい。誕生日から半年以上も経つのはさすがにマズい。でも……

「なにあげればいいんだろう……」
「どうしたんですか、さん?」

 泉田くんが隣に座る。

「友達の誕生日プレゼントが思い浮かばなくて……。泉田くんはさ、なにもらったらうれしい?」
「ボクですか? ボクは鉄アレイですね」
「鉄アレイ?」
「えぇ。筋肉作りにはもってこいですし、相手も喜ぶと思います」

 泉田くんのように身体を鍛えた荒北くんを想像する――

「……却下」
「アブゥ。ダメですか?」
「今のままの姿が好きだなぁ」

 泉田くんと二人してため息をつく。

「塔一郎ー! ちょっとこっち手伝ってくれー!」

 部室から黒田くんの声が聞こえる。

さん、ごめんなさいっ」
「ううん。相談に乗ってくれてありがとう」

 部室に行く泉田くんにひらひらと手を振ると、遠くを見る。荒北くんの誕生日プレゼント、本当にどうしよう……。
 もう一度ため息をつくと、荒北くんがよくかわいがっている野良猫が前を通り過ぎた。……いっそのこと、あの猫を捕まえてプレゼントしようか。
 そう思った途端、猫に気づかれないようにこっそり後をつける男が一人。

「荒北くん、どうしたの?」

 建物の角で、猫に見つからないようにこっそり身を隠している荒北くんにそっと声をかける。

「アイツ、最近デカくなってないか?」

 言われてみればあの猫、随分と体が大きくなったような……。

「お前、エサあげてないよな?」
「あげてないよ。荒北くんの楽しみ奪っちゃ悪いし」
「誰だあんなに太らせたヤツは」

 荒北くんがキッと目を眇める。

、今ヒマだろ? 手伝えよ」
「まさか……」
「あの猫の後をつけるぞ」


「……荒北くん」
「なんだ?」
「部室に戻ってもいいかな?」
「ダメに決まってンだろ」
「…………」

 荒北くんと二人で壁に身を隠すこと数分。野良猫はその場に佇み、毛繕いをしたりあくびをしたり。猫好きの荒北くんは見てて飽きないみたいだけど、退屈になってきた私は今すぐにでも部室に戻りたい気分だ。

「お腹減ったなぁ……」
「腹減ってんのか? あんパンあるぞ」

 どこから取り出したのか、ミニあんぱんが入った袋を差し出す荒北くん。

「牛乳もあるぞ」
「今はいいです」

 やんわりと遠慮すると、私たちがいる方とは反対の方向から足音が聞こえてきた。……あれは福富くんだ! 福富くんがその場に座って、猫と見つめ合う。
 先に福富くんの口が動き、

「……ニャー」
「ニャー」
「ニャー」
「ニャー」
「オレは強い!!」
「ニャー!!」
「なにやってんだ、福チャン」
「さぁ……」

 そんなこと私に聞かれてもわからない。福富くんとは長い付き合いだけど、まれによくわからない行動を取るときがあるのだ。

「なにやってんだ、寿一」

 福富くんの後ろから新開くんが現れた。新開くんは猫に気づくと屈んで、サイクルジャージのポケットから煮干しを取り出す。

「はい、ニャン吉」

 差し出しされた煮干しに野良猫――ニャン吉はぱくっと食べた。

「なにがニャン吉だァ!? そいつにはノラスケっつう名前があるのに!」
「落ち着いて荒北くんっ」

 荒北くんの口を手でふさぐ。

「将来寿一みたいになるんだぞ」
「シャーッ!!」
「強い!!」
「福富くんたち……」

 まさか、あの野良猫が福富くんたちと仲がよかったなんて。衝撃的な事実に呆然としていると、黒猫が福富くんたちの横を通って去っていく。

「少尉、標的が移動したようです。どうされます?」
「ちっ。行くか」

 カッコよく決めた台詞は完全スルー。ツッコミがなくて寂しいなぁと思いながらも、猫に気づかれないように後をついていく。
 黒猫が足を止めた先には真波くん。……あれ? 真波くん部活の始まりの時にはいなかったのに!

「織田が連れ戻したんだと」
「いつの間に……」

 野良猫が真波くんの足にまとわりつき、

「わー、くすぐったいよぅ」
「ニャー」

 無邪気な笑みを浮かべる真波くんと、すっかり甘えたさんな猫の図。

「ケッ。真波みたいな不思議チャンが好きなのかよ、アイツ」
「あれ、メス猫なの?」
「いいやオスだ」
「…………」

 ツッコみたい衝動をこらえて、じっと猫を見る。

「やっぱりさんに似てるー」

 真波くんが野良猫の背をなでる。

「……私、あの野良猫に似てる?」
「さぁ……。不思議チャンの考えることなんてさっぱりわかんねーよ」

 あの猫のいったいどこが私に似ているというのか。今すぐ真波くんに問い詰めたい気持ちを抑えて様子を見ると、真波くんがポケットから煮干しを取り出した。

「これあげる」
「ニャーン」

 猫が甘えた声でお上品ににぼしを食べる。下にいる荒北くんが「真波のヤツも後でシメる」と小声で言った。

「真波、こんなところでなにをやってるんだ」
「あ、織田くん」

 真波くんの後ろに現れたのは織田くん。織田くんは野良猫を見るや、メガネを光らせて

「なんですかこの醜い猫は」
「シャーッ」
「しょうがないですねぇ。たまたま、猫でも食べられるボク特製のパワーバーを持っているのでそれを差し上げましょう」
「ニャーッ!」

 危険を察知したのか、猫が部室の方角に逃げる。

「おい。あのバカにお前のパワーバーまずいんだよって言ってやれよ」
「言えないよそんなこと……」

 そんなことを言い合いながら、織田くんたちに気づかれないように動いて部室に行く。

「たしかにここに入ったはずなんだけど……」

 荒北くんが周囲を見渡す。男子更衣室にまで来てしまったのだが、中は無人。注意深く視線をさまよわせるが、猫の姿は見当たらない。
 ――その時、こちらに向かう一人の足音が聞こえた。

「誰か来る……」
「隠れっぞ!」
「えぇっ、ちょっ、待っ――!!」

 荒北くんに手を引かれて、クローゼットの中に身を隠す。

「どうして隠れたのっ」
「ワリィ、つい体が動いて」

 私と荒北くんの後ろには、ハンガーにかかった歴代のサイクルジャージ。クローゼットのすごく狭い空間の中で、少しだけ体がくっついている。何回か身をよじらせたけれど、狭いクローゼットの中ではこれ以上どうにもならなかった。
 爽やかなせっけんの香りが鼻腔をくすぐる。たぶん、荒北くんが使っている汗拭きシートの香りだろう。以前その汗拭きシートを見た記憶がある。

「あんまり体押し付けるなよ。あと、変なトコ触ったらぶっ飛ばすからな」

 それはこっちの台詞だよ、と言える余裕もなく、心拍数が一気に増える。
 肩にかかる荒北くんの吐息。ほんのりと温かい体温。自然と私の顔は真っ赤になって――

『待ってー』

 桜の花びらが舞う坂道。二人の男の子の背中を追いかけながら、自転車のペダルを回す。

『遅いですよさーん』
『キミ、遅いで。亀の方がまだ速い』

 ペダルを回す足を速めて、二人の後を追う。

『待って、真波くん、御堂筋くん!』

「……おい」

 不機嫌そうな声で現実に引き戻される。
 目の前にはあきれと怒りが入り混じった荒北くんの顔。つい緊張して現実逃避の妄想の世界に入ってしまった……。言い訳を考えていると、誰かの声が聞こえる。

「おーよしよし、今日もかわいいねぇ」

 これは監督の声だ! クローゼットの扉で遮られていて姿は見えないが、この落ち着いた声色は間違いない。

「ボク、今日も後藤教頭にいじめられてねぇ。参っちゃうよ本当」
「ニャー」
「福富くんたちはしっかりしてるし、織田くんたちもよくやってくれてるし。ただ、真波くんが遅刻してくると、教頭が『緩んだ部活ですね』って目を光らせるんだよねぇ。ボクどうしたらいいか……」
「ニャー」
「君みたいに癒やしてくれるペットが欲しいなぁ」
「監督ー! インハイのレースで確認したいことがあるのだがー!」

 更衣室の入り口付近から聞こえるのは東堂くんの声。

「今行くよー」

 一人と一匹の足音が遠ざっていく。そっと扉を開けて、誰もいないことを確認するとクローゼットの外に出た。

「まさか監督まで、あの猫をかわいがっていたなんて……」

 苦笑して振り返ると、荒北くんが私の横に手をつく。いわゆる壁ドンというヤツだ。

「……で、。なんでさっき真波……と知らないヤツの名前つぶやいてたんだ?」
「たまたま妄想に出てきて――」

 瞬時、両頬をぎゅうっと引っ張られる。

「お前はオレのことだけ見てろ。返事は?」
「ひゃい……」

 両頬つねりから開放されて、ほっと一息つく。

「しっかし結局全員のせいだったんだな。シメるのもめんどくせーし、まめに猫じゃらしで遊んでやるか」

 なんだかんだで猫に一番甘いのは荒北くんだ。口には出さず、こっそり笑っていると彼の足元になにかが落ちていることに気がつく。
 拾い上げるとそれはお守り。荒北くんの持ち物だとは思えないし、さっきまではなかった物だからクローゼットから出てきたのだろうか……。お守りからはみ出している紙をそっとつまんで引っ張ると、「絶対優勝」と書かれている。

「なに見てんだ?」
「落とし物。たぶん、クローゼットの中から出てきた物だと思うんだけど……」
「どっかの年でインハイに出てたヤツが持ってたんだろうな。受験じゃあるまいし」
「荒北くんは……」
「あん?」

 荒北くんと視線がぶつかる。言おうかどうか迷って――

「ううん、なんでもない」

 言わないことを選んだ。どうせだから、楽しみは取っておいた方がいい。

「そろそろ戻ろう。東堂くんに怒られちゃう」
「そうだな」

 お守りをクローゼットの中に戻して、男子更衣室を出る。
 ――荒北くんの誕生日プレゼントがやっと決まった。後でどういう物にするか、詳しいことを考えてみよう。