バスから降りて、数時間ぶりに地に足をつける。車に長いこと揺られ着いた場所はサイクルスポーツセンター、通称CSCだ。
 CSCは自転車専用のコースがある施設で、建物の中には広めのトレーニングルームや食堂、宿泊所や銭湯などが備わっている。箱根学園の自転車部は毎年この時期にここを利用していて、自転車部の合宿には最適な環境だ。
 今日からここで三泊四日の合宿が行われる。合宿ではインターハイに出場するメンバーと出場しないメンバーの二手に分かれ、一方が室内、一方が外など、合同メニュー以外は場所がかぶらないように調整されている。
 自転車部のマネージャーは私一人だけど、今日はOBやOG、ボランティアの人がいて仕事量はある程度分散される。それでも、五十人近くもいる部活だから気を抜かずにすばやく仕事をこなす必要がある。
 今日から四日間頑張らなきゃ。気持ちを強く持って三日間寝起きする相部屋へ向かう。


 今日の未出場組の練習はトレーニングルームでローラーと筋トレだ。インハイ組よりはゆとりあるスケジュールだけど、人数が多い分雑用の仕事も必然と増えてくる。

さーん! 自転車の調整手伝ってくれるー?」
「はいはーい!」
「誰か買い物袋部屋まで運ぶの手伝ってくれるー?」
「はーい!」

 OGの指示を仰いで入り口まで行くと、床にたくさんの買い物袋が置いてあった。買い物袋の中にはパワーバーやポカリなど、ロードレースの必需品が入っている。
 右手に二袋、左手に一袋持つとずしりとした重みを感じた。ギリギリ持てると思ったんだけど、あまりの重さによろめいてしまいそうだ。

「大丈夫か、。あんまり無理すんなよ」
「新開くん」

 新開くんが私の持っていた買い物袋を二つ取って持ってくれた。

「オレ、今回練習には参加しないけどさ。寿一たちが頑張っているのになにもしないわけにはいかないし、いつもがやっていることをやらせてもらうよ。だから遠慮なくオレを頼ってくれ」

 新開くんが片目を閉じる。

「ありがとう、新開くん」

 CSCに着いたのが昼過ぎということもあり、この日の練習はあっという間に終わった。


 夕食までだいぶ時間がある。特に予定もなかった私はふらりと外に出てみることにした。
 外に続く扉を開けると、視界に飛び込んだのは美しい星空。真っ暗な闇に大小様々な星がキラキラと瞬いている。箱根の空もきれいだけど、ここの空は一層澄んで見えるような気がした。

「……あれ?」

 もう練習の時間は終わったはずなのに。コースに一人自転車に乗って走っている人が見えた。
 目を凝らして見ると、チェレステカラーの自転車に黒の短髪。……あれは、荒北くんだ。
 初めて会った時も、新開くんのことで相談に乗ってもらった時も、彼は一人自転車に乗っていた。
 いつも部活の時は「練習メンドクセェ」って悪態をついているのに。どうして彼は自分の時間を割いてまで自転車の練習に励んでいるのだろう。
 声をかけてみようか。でも、そうしたら荒北くんは怒るかもしれない。ここはそっとして帰った方がいいのだろうか……。
 どっちにしようか迷っていた時、後ろから足音が聞こえてきた。

。こんな所でなにをやっている?」
「福富くん」

 福富くんが隣に並び、私の視線をたどる。

「荒北が気になるか?」
「えっ!? ……あぁ、うん」

 突然の問いかけに一瞬変な勘違いをしちゃったけれど、部活上でのことを指しているのだと気づくと私はうなずいた。

「ちょっと怖いなって思う時もあるけれど、自転車の練習をしているところを何度も見かけて、努力家なんだなぁって思った」

 こんなこと、荒北くんに言ったら怒られそうだけど。いつもぶっきらぼうな彼にこんな一面があると思うと、すごく意外だった。

「口は悪いがまっすぐな男だ。お前のことも、それなりに気を遣っている」

 福富くんが空を仰ぐ。しばらく沈黙した後、静かに口を開いた。

「この前、電話でオレが言った新開への伝言は覚えているか?」
「うん」

 来年、主将になった福富くんが最強のチームを作る。その時、四番のゼッケンは新開くんに譲る。
 心の中で復唱してみると、来年のインハイが待ち遠しくなってきた。

「あの時の言葉の言い直しになるが……来年はオレと荒北、東堂と新開。六人のうち四人は決まりだ」
「荒北くんに東堂くん……」

 福富くんに荒北くん、東堂くんに新開くん。この四人が揃ったら、どんなに熱いレースが見られるのだろう。

「あれ? そうすると荒北くんってオールラウンダー?」

 頭の中でひとつの疑問が思い浮かぶ。福富くんは登坂と平坦両方に適応したオールラウンダー、新開くんは平坦がとてつもなく速いスプリンター、東堂くんは坂を苦とせず登っていくクライマーだ。荒北くんは平坦も登坂も目立った記録はないけれど、オールラウンダーとして活躍するのだろうか。

「あぁ。荒北はオールラウンダー……今はまだ経験を積み重ねている途中だが、アイツが力をつけてきた頃、エースアシストとして活躍してもらおうと思っている」
「エースアシスト……」

 昨日の夜、福富くんにエースアシストのことを教えてもらう夢を見た。
 エースアシストは私にとって憧れの役割だ。その役割を、荒北くんが務める。

「今言ったことは荒北たちには口外しないように。調子に乗られたら困る」
「うん」
「それから、インハイにはマネージャーのお前も必要だ。協力してくれるか?」
「もちろん」

 福富くんに向き直り、笑んで答える。

「ありがとう。……もうすぐ飯の時間だ。荒北は一段落したら来るだろう。先に行くぞ」

 屋内に続く扉を開ける前に、振り返り荒北くんを一目見る。
 ……頑張れ。今も練習を続ける荒北くんに小さな声援を送り、その場を後にした。