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 インターハイ最終日。今日も補給の仕事があるし、気をちゃんと持たなきゃ。何度も自分に言い聞かせるのだけれど、なにをやってもすぐに幼なじみの悲しそうな顔が頭によぎる。
 それを思い出すたびに、なにもできなかった自分の無力さに強く後悔する。昨日福富くんは自転車に乗る資格がないと言った。そんなことを言ったら、私なんてここにいる資格がないのではないか――

「おはよう、ちゃん」
「……おはよう」

 爽やかにあいさつをする東堂くん。いつもどおりを装ってあいさつをしたつもりだけど、どこか湿っぽくなってしまった。
 東堂くんは眉尻を下げて、

「……昨日は、色々あったな」
「うん……」

 福富くんの落車の話はあれからうわさ話で部員に広まった。たぶん、東堂くんもうわさで真実を知ったのだろう。

「とりあえず元気を出せ。泣いても笑っても、今日は三年生にとって最後のインターハイだ。ちゃんがそんな顔をしていたら、士気が下がってしまうぞ」
「あ……」

 そうだ、今日は三年生にとって最後の大会なんだ。今日を境に三年生は引退となる。昨日の後悔を忘れるわけじゃないけど、これは私や福富くんだけのレースじゃない。三年生の人たちも、この日のために練習を積み重ねてきたんだ。

「ありがとう、東堂くん」

 空元気だけど、それでも心を強く持つ。三年生たちの思いを無駄にしないために、今日一日を精一杯頑張ろう。


 レース終盤。最後の給水所で選手全員の通過を待っていた。今日は給水組に泉田くんが加わっている。給水組の一人が体調を崩し、代役として泉田くんが給水係を務めることになったのだ。

「補給って結構ドキドキしますね……。この先に見えてくるのが自分の学校であってほしいって強く思うし、先輩に補給を渡す時、力強い手応えを感じます」

 まだ選手が見えないコースの先を見て、泉田くんは私に言った。今日も日差しが強くて、セミがけたたましく鳴く声が聞こえる。暑さでサコッシュを持つ右手が汗ばむ。

「そうだね……。何回もやっているけれど、いまだに緊張するよ」
「毎回このような大事な仕事をこなしているさんのこと、尊敬します」
「尊敬なんて大げさだよ」

 私は苦笑して答えた。こんなこと、選手たちに比べれば全然大したことないし……私はなにもできないのだ。

「三日間、先輩方の走る姿を見て思ったんですけど……来年、ボクもレースに出たい」

 荒北くんや新開くんと似ている。彼もまた、インターハイで熱を感じたのだろう。そんな彼に私は、

「つらい思いをするだけかもしれないよ……。レースってさ、絶対に勝ち負けが分かれるし。泉田くんはそれに苛まれるかもしれない」

 水を差すような言葉を言ってしまった。泉田くんには悪いけれど、昨日の福富くんを見て、つらい思いをした上になにが得られるのかよくわからなくなってきた。
 自転車は速さを競い合うだけが楽しみじゃないと思う。風を切る心地よさ、時にはペダルを緩めて風景を一望するのも魅力のひとつ。なにも勝負することにこだわらなくていいのではないか……。一生懸命練習している荒北くんやみんなに言ったら怒られそうだけど、こんなことを考えてしまうくらい私の思考は後ろ向きになっていた。
 けれど泉田くんは笑って、

「そうかもしれません……。でも、だとしてもボクはあの舞台に立ちたい。全国の学校が集まって競い合うなんて機会、年に一度のこの大会だけなんですよ。これから先苦しい思いをしたり、つらいことがたくさん待っていたりするかもしれませんが……それでもボクは戦いたい。スプリンターとしてどこまで通用するか、試してみたいんです」

 私の失言にも泉田くんは明るく答えて、コースの先を見た。遠くから客の歓声が聞こえ、もうすぐトップの選手がここを通るのだろう。
 泉田くんの言葉をかみしめて、私もコースの先を見る。福富くんに新開くん、東堂くんに泉田くんに荒北くん……。様々な思いを胸に秘め、インハイに出たいと夢を持つ彼らに私ができることは何だろう。

「榛名主将だ!」

 部員の一人が叫ぶ。道の先には、トップを走る榛名主将の姿が見えた。
 気持ちを切り替え、サコッシュを強く持つ。懸命に走る先輩の姿に、悩み事は霧散してしまった。


 最終日は箱学の勝利で終わった。三日間、箱学の連勝で勝利を締めくくったことになる。スプリント賞や山岳賞は他校が混じっているけれど、やっぱり箱学は強い。観客に強さを訴えたインターハイとなった。
 閉会式の表彰台に、箱根学園の一人と他校の二人が立つ。観客の歓声がどっと沸いた。
 三年生たちの勇姿を見届けて、テントに戻ろうと踵を返した時――

「すっ、すみません!」

 どん、と誰かの肩にぶつかってしまった。
 ぶつかった人を見ると、赤毛に緑と白を基調にしたサイクルジャージ。胸には呉南工業と書かれている。
 呉南の人はなにも言わず、私をじっとにらむ。片手には小さな花束。この人、さっき総合優勝の表彰の時に見かけたような……。

「お前、ハコガクか……。来年覚えてろよ」

 男は私をひとにらみすると去っていった。今の私には気に留める余裕もなく、重い足取りでテントに戻っていった。