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 部活がない日曜日の朝、集合場所の駅改札口前まで行くと新開くんがいた。

「おはよう、新開くん」
「おはよう、。今日は一日よろしくな」

 今日は私と新開くんと福富くんの三人で、静岡にあるサイクリングロードに行く予定だ。そこにかつて新開くんがひいてしまったウサ吉のお母さんのお墓がある。一ヶ月前のインハイの夜、私は新開くんと墓参りに行くことを約束し、三人の都合がつく今日に行くことになった。
 腕時計を確認すると、待ち合わせの時間まであと五分。そわそわしていると、すぐに福富くんが来た。

「待たせてすまない」
「いいや。まだ待ち合わせの時間じゃないし、大丈夫だよ寿一」

 新開くんが「じゃあ、行こうか」と体を翻し改札に向かう。福富くんと一緒に、新開くんに続いて改札を通った。


 電車とバスを使い、静岡のサイクリングロードに着いた。神奈川のサイクリングロードに劣らない規模の広さで、大きく広がる道の右側は歩行者優先、左側は自転車優先とアスファルトの上に標示が書かれている。遠くを見ると、自転車優先道でポタリングをする人や、歩行者優先道でジョギングに打ち込む人がいた。新開くんの話によると、ここから離れた先にウサ吉のお母さんのお墓があるという。
 だいぶ歩いたところで、道の脇に手のひらほどの大きな石が三段に積み重なっている場所があった。

「ここが……ウサ吉の母さんのお墓なんだ」

 新開くんがお墓の前まで歩き、その場に座った。両手を合わせ、黙祷を始める。
 私と福富くんも新開くんの隣に立ち、黙祷をする。時折吹き付ける柔らかな風が頬をなでた。
 お墓参りが終わると、そのままサイクリングロードを通って、隣町の駅まで歩く。
 隣の自転車道で気ままに自転車を楽しむ二人のライダーが通りすぎていった。私の隣を歩いていた新開くんは二人のライダーを見て、にっこりと目を細める。

「そういえば、寿一には前に話したことがあるんだけどは聞いてないよな。オレが自転車始めた理由」

 そう言われてみると、新開くんが自転車を始めた理由をいまだに知らない。

「うん……聞いたことないや」
「じゃあ、聞いてくれるか? あと少しだけ心の整理がつかなくてさ……。寿一も一度聞いた話だからつまらないかもしれないけれど」
「構わん。続けろ」

 福富くんの言葉に新開くんは微笑すると、ゆっくりと話し始めた。

「オレさ、子どもの頃、ジェットコースターとか速い乗り物が好きで、スポーツをするとき風を切るものがやりたかったんだ。陸上は速さにも限度があるし、スポーツカーとかじゃ免許取るのに何年も待つことを考えたら選択肢になくて……その時、たまたまテレビでやっていたロードレースの中継を見た。スプリンターがものすごい速度でトップを走ってて、その時オレは自転車に出会った」

 自転車は速く走れることが魅力のひとつだ。新開くんはそこに魅力を感じたんだ。

「それからすっかり自転車に夢中になったオレは、誕生日に親父からロードバイクを買ってもらった。今思うと高い買い物だったなって申し訳ない気持ちになるんだけど、今までもらった物で一番って言えるくらい、うれしいプレゼントだった。……それで、中学の時寿一とに出会った」

 新開くんと初めて出会った日のことは覚えている。中学に入学して間もない頃、福富くんに「紹介したい奴がいる」と言われて屋上に呼び出された。

『オレは新開隼人っていうんだ。君がさんだね、よろしく』

 新開くんがにっこり笑って手を差し伸べる。私はおずおずと手を出し、その手を握り返した。
 それから、福富くんと新開くんは自転車部に入部し、多くのレースに出場しては数えきれないほどの功績をあげていった。私はその時自転車部の部員ではなかったけれど、二人を応援したい一心でレースに何度も足を運んだ。
 レースの経験を積むたびに、二人の息が合い、怖いものなしと言い切ってもいいほどの実力がついた。このまま二人の成長を見届けたい。そう思っていたある日……親の仕事の都合で転校することになってしまい、福富くんたちと離ればなれになってしまった。
 離れていても、携帯電話で連絡を取ることはできるけれど。いつの日か自分のことでいっぱいいっぱいになって、再び神奈川に戻ってくるまで自然と疎遠になってしまった。

が転校した後も、オレと寿一は頑張ってたんだぜ? 東京にいるの耳に届くといいなって思いながら、たくさんのレースに出場して結果を出した。箱学に入った時もすぐに自転車部に入部して、靖友とか、尽八とか、新しいヤツに出会って。このままオレは全国で一番速いスプリンターになるんだって思った時……あの事故を起こした」

 新開くんの顔がうつむく。福富くんは表情を変えずに黙って聞いている。

「あの後……自転車をやめようと思った時にが転校してきた。自転車はやめたいけれど寿一や他のみんなが心配で、オレはに思いを託して辞めようと思ってたんだ。でも、託すつもりが引き止められた。あの時、すっごくうれしかった。もしたちが止めてくれなかったら……今のオレ、後悔ばかりでからっぽだったかもしれない」

 新開くんが空を仰ぐ。目の淵に涙がたまっているのが見えた。

「それにオレ、やっぱり自転車が好きだ。あんなことを起こして自転車に乗る資格なんてないかもしれないけれど……それでも、もう一度自転車に乗りたい。だから、寿一たちの手を借りたい。待たせた分、誰よりも速くなることを目指して頑張るから……」
「もちろんだよ」
「あぁ。スプリンターの座は今でも空けている」
「ありがとう」

 新開くんにつられて視界が涙でにじむ。零れ落ちそうな涙を指で拭った。

「自分がやったことは絶対に忘れない。ウサ吉のことも、アイツが一生を終えるまで責任を持って見るつもりだ。あの時のオレは、常に優勝だけを見て走っていたけれど……今度はウサ吉のことも、ここまで待ってくれた寿一やのことも、みんなのことも全部抱えて走るから……。だから、オレのこと見守ってくれ」

 新開くんの背中を押すようにそよ風が吹く。彼の涙が風に乗ってきらめいた。


 駅前に着くと携帯の着信音が聞こえた。聞き慣れないメロディに誰のだろうと思っていると、発信源は福富くんの携帯からだ。

「すまん、少し待っててくれるか」
「うん。いいよ」

 福富くんが歩き、私たちの見えない所にまで移動する。

「……、今日は本当にありがとうな」
「ううん。大したことはしてないよ」
「そんなことない。オレ一人じゃ絶対ここには来れなかった。……は気づいてないかもしれないけれどさ。おめさんって、結構周りを変えてるんだぜ?」
「そうかな……?」

 思ってもみない言葉に首をかしげる。新開くんは笑って、

「オレや寿一に尽八……一番変わったのは靖友かな。ここだけの話、靖友はと会う前もっと口が悪かったんだぜ。人の厚意を素直に受け取れない、ひねくれたヤツでさ」

 以前東堂くんから聞いたことがある。荒北くんが自転車部に入った時は今よりも横暴で、すぐに辞めるだろうと思っていたのだが、不思議なことになかなか辞めない……とか。

「それがと会ってから優しくなったっていうか……角が取れたっていうか。が自転車部に入ってくれて本当によかった。そのお返しになるかわからないけど……もし悩み事があったら、オレや寿一や靖友でもいい。気兼ねなく相談しろよ? 普段世話になってる分、力になるから」
「うん。もしなにかあったら新開くんたちに相談するよ」

 中学の時は、三人で過ごすことが何度もあったけれど。神奈川に戻ってきてから色んなことがあって、昔よりもぐっと距離が近づいた。
 話を終えたところで福富くんが戻ってきた。

「もう大丈夫なのか? 寿一」
「あぁ。待たせてしまってすまない」

 福富くんが体を翻す。

「箱根に帰るか」
「待った寿一。帰りにさ、中学の頃たまに通ってたラーメン屋寄っていかない? オレ、腹減っちゃってさ」
「いいね! あそこのみそラーメン、久しぶりに食べたいな」

 思い出話に花を咲かせながら改札口に向かって歩く。
 明日から新開くんは自転車部に復帰することになる。半年のブランクを埋めるのは大変だけどきっと大丈夫。私はもちろん、福富くんや荒北くん、東堂くんや泉田くん。色んな人が新開くんに力を貸すだろう。新開くん自身も頑張るだろうし、きっとブランクはすぐに取り戻せる。
 来年のインターハイまであと一年。新開くんが戻ってきてようやく役者が出揃った。あと一年の間、みんながどれだけ成長できるだろうか。どれだけ私は部に貢献できるだろうか――。
 見上げた秋の空は高く澄んで見える。夢がかなうまで、まだまだ時間がかかりそうだ。