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 みんながお見舞いに来てくれた翌日、福富くんが部活を休んでもう一度お見舞いに来てくれた。こうやってふたりきりになるのは少し久しぶりだ。

「もう、悩みは解決したみたいだな」
「ゴメン、心配かけちゃって」
「気にするな。いまさら謝る間柄じゃないだろう」
「……そうだね」

 窓越しに空を見る。この前まで強風続きだったけれど、今日は時折小風が吹く程度で気持ちのいい天気だ。耳を澄ませば、鳥のさえずる声が聞こえてくる。

「私ね、足の怪我が治って、しばらく自転車の練習をしたら……久しぶりにレースに出てみようと思うんだ」

 この決意を真っ先に幼なじみに話したいと思っていた。福富くんは私がレースに何回か出たことがあるのを知っている。

「いつも人の走っているところを見ているだけだったけど、足利峠を完登してから自分で走りたいって思うようになったんだ。福富くんたちと違って速いわけじゃないから、あんまりいい順位にはならないと思うんだけど……。レースでしか走れない道もあるし、自分のペースで走ってみようと思う」

 福富くんたちから見たら甘いかもしれないけれど、私はこのくらいでちょうどいい。足利峠だけで満足せず、多くの道を走ってみたいと思った。
 今日考えたばかりの決意で、いつレースに出るのかさえ決めてないけれど。私も、福富くんたちが見ている景色をもう一度この目で見てみたい。

「そうか。いいと思うぞ」

 窓から福富くんの顔に視線を移す。福富くんの口元が微かに笑んでいた。


 福富くんが帰った後、入れ違いで東堂くんがお見舞いに来てくれた。

「怪我をしたって聞いた時は驚いたぞ。旧校舎のフェンスが落ちるとは災難だったな」

 荒北くんを庇って怪我をしたことは、私と荒北くんと、たぶん一部の教員しか知らない。

「それはさておき、遅くなってしまったが足利峠制覇おめでとう。まさかあの短期間で完登するとは思わなかったよ」
「ありがとう。足利峠に挑戦して、改めてクライマーって偉大だなって思ったよ」

 あんなに苦しい坂を、クライマーは鳥のようにすいすいと登り、苦しみさえも糧にしてしまう。東堂くんや真波くんたちクライマーに尊敬の念を抱いた。

「頂上に着いた時は天気悪くてあんまりいい眺めじゃなかったけど……。でも、気分はよかった」

 曇天空に頂上を示すちっぽけな看板。殺風景な頂上だったけれど、登り終えた時の気分は最高だった。

「怪我が治ったらまた登坂に挑戦するといい。都合があえばこの山神がちゃんを引こうではないか」
「そうだね。そのためにも、早く怪我を治さなきゃ」

 包帯で巻かれている自分の足を見つめる。もう一度自転車に乗るために、苦しいリハビリにも耐えていこう。


 福富くんたちがお見舞いに来てくれた翌日、今度は新開くんがお見舞いに来てくれた。

「部活はどう?」
「前の調子は取り戻したんだけどさ……左が抜けなくて」

 壁に背中をつけた新開くんが表情を曇らせる。

「オレ、ウサ吉の母さんひいたの、他校の選手の左を抜いた時でさ。左を抜くのが怖いんだ……」

 ロードレースで追い抜きは避けて通れない道だ。必ずしも右が空いているとは限らないし、左が抜けないとなると相当な痛手だ。

「でも最近、みんなに相談したら左を抜く練習に付き合ってくれたんだ。一番に手伝ってくれたのは靖友だったよ」
「荒北くん……」

 私が入院してから、荒北くんが頑張って練習に取り組んでいると東堂くんから聞いた。新開くんの話を聞いて、真っ先に力になりたいと思ったのだろう。

「最近、靖友がスランプで、も寿一も元気ないし……オレも、左が抜けなくて悩んでてさ。周りをなんとかしたいっていう気持ちはあったんだけど、自分のことでいっぱいいっぱいだったんだ……。そんな時が怪我したって聞いた時はびっくりしたけど、そのわりには元気そう。オレが手を貸す前に、色々解決しちまったんだな」

 新開くんが静かに微笑む。

「でも。つらいときはちゃんとオレや周りを頼ってくれよ? 今回はなにも言ってくれなかったけれど、このままじゃオレ、に借りを作ってばっかりだ」
「ゴメン……。今度なにかあったら新開くんの力を借りるよ」

 そう言った時、ドアを規則正しくノックする音が聞こえた。「どうぞ」と言うと病室に入ってきたのは泉田くんだった。

「おぉ、泉田。やっと来たな」
「新開さんにさん、遅くなってすみません。福富さんと今度のレースのことで話をしていたら長引いてしまって……」

 新開くんと泉田くんの三人で部活の話をした。だいぶ話し込んだところで、新開くんが飲み物を買いに病室を出た。
 部屋の中に泉田くんとふたりっきり。開けっ放しの窓から気持ちのいい風が入ってきた。

「寒くなりましたね」
「そうだね。転校して、あっという間に時間が経った気がする。春には泉田くんに後輩ができるんだね」
「後輩ですか……。あんまり実感わきませんね……」

 遠い目をする泉田くん。

「ボク、自転車部に憧れて箱学に入ったんですよね。いい先輩方に恵まれて、たくさんのレースに出て……こんなに早く時間が経つとは思わなかった」
「そう考えると、泉田くんと私って同じ時期に部活に入ったんだよね」

 泉田くんと初めてあいさつを交わしたあの日が懐かしいような、ついこの間のことのような。入った時期は泉田くんと大体同じだけど、ひとつ違うことがある。自転車部にいられる期間が、泉田くんより一年短いことだ。

「来年の夏になったら引退かぁ」
「なに言ってるんですか、さん。その前にインハイがあるじゃないですか」
「……そうだね」

 そうだ。最近色々ありすぎてすっかり頭から抜け落ちていたけれど、来年の夏にはインハイがある。
 総北高校の巻島くんや、今年の四月に京都伏見に入る御堂筋くんに会った。来年のインハイでは彼らが壁となって立ちはだかるであろう。

「そうだね。インハイ、頑張らなきゃ」

 泉田くんに向かって笑うと、ドアが開く音がした。四本の飲料を腕に抱えた新開くんと、

「よっ、。久しぶりっショ」
「巻島くん……!」

 巻島くんがお見舞いに来てくれた。

「東堂にが怪我したって聞いた時はビックリしたっショ。けど、思ったより元気そうでよかったっショ」

 巻島くんが私に二つの袋を差し出す。

「これ、うちの自転車部一同から。田所っちの実家のパンと、金城お勧めのマジック講座の本が入ってるっショ」
「裕介くんお勧めのグラビアも入っているのかい?」
「さすがに女子に渡すほどバカじゃないっショ……」

 新開くんの冗談がツボにきて笑ってしまった。巻島くんが顔を赤らめ、新開くんと泉田くんも私と同時に笑った。