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 病院に入院してもうすぐ一ヶ月が経つ。退院したらまずは部活に復帰して、完全に治ったら自転車に乗ることを目指して一生懸命リハビリに取り組んできた。経過は順調でさっきお医者さんから予定どおり、明日には退院できるとお墨付きをもらった。
 今日は真波くんがお見舞いに来てくれた。「たまには外の空気吸うといいですよ」真波くんにそう言われて、二人で屋上に行くことにした。
 屋上に出ると、ひんやりとした風が体を包む。久しぶりに吸った外の空気はおいしく感じた。真波くんが屋上のフェンスに背をつける。

「まさか、足利峠を攻略した次の日に怪我をするなんて思いませんでした」
「完全登坂した次の日でよかったよ」
「もう、そういう問題じゃないです」

 真波くんが唇を尖らせて言った。でも、怪我をする前に登り切らなかったら、あの峠はずっと制覇できなかったと思う。
 真波くんの隣に並び、フェンス越しに外の景色を一望する。緑豊かな自然溢れる町並み。これからこの町で、私のやりたいことについて考える。

「……ねぇ、真波くん。私が退院した後のことなんだけどさ……真波くんの勉強を見る時間、減らしてもいいかな?」
「いいですけど、なんで?」
「自転車に乗る時間にあてたいんだ。あと、好きな人のこと、もう一度応援しようと思う」

 まだ、本人には言ってないけれど、荒北くんさえよかったらもう一度自主練習を手伝おうと思う。
 もしかしたらまた、荒北くんがスランプに苛まれてしまうかもしれないけれど……。その時は別の解決策を探す。離れるなんて選択肢は、私も荒北くんもお互いに傷ついてしまうだけだ。
 真波くんは満足気に微笑んで、

「そっか。それなら勉強は自分でなんとか頑張ります。でも、さんが元気になってよかった。今のさん、『生きてる』って感じがします」
「真波くんにはたくさん助けてもらっちゃった。もし、真波くんがなにかに困ってたら、その時は全力で助けるから」

 真波くんが登坂に誘ってくれたおかげで荒北くんに向き合うことができたし、もっと自転車で走りたいって思えるようになった。アズナさん……御堂筋くんにも会うことができた。
 思えば、一人で軽々と登れるであろう峠を真波くんは私のペースに合わせて走ってくれた。多くの時間を割いて私に付き合ってくれたと思うと、真波くんには返しきれないほどの借りができてしまった。
 真波くんは顎に手を添えて、

「困ったことかぁ……。うーん、オレにあるかなぁ。……あ、そうだ。今日の宿題、代わりに手伝ってもらおうかなぁ。あぁでも、委員長に怒られちゃうかな」

 真波くんが笑って言った。たしかに真波くんの性格を考えると、私の手が必要なほど困ることはめったにないのかもしれない。

「でも、覚えておきます。もしオレがなにかに悩んでいたら、その時は助けてください」

 両手を後ろに組んで、登坂に誘ったあの日と同じような笑顔で言った。力強くうなずき、澄み切った青空を仰ぐ。

 ◆

「なぁ。明日の夕方、空いているか?」

 の退院前夜、椅子に座った荒北が問うた。

「うん? 空いているけど」
「話したいことがある。その日、いつオレの都合がつくかわからないけど……会うときは連絡するから、空けておいてくれねェか」
「……うん」

 一番言いたかったことを話すと、荒北はに今日の部活の出来事や最近の自主練習の成果について話した。
 面会終了時間が近づいてきた頃、「また明日」と別れを告げて病室を出る。
 受付で面会札を返し、病院を出てしばらく歩いたところで携帯電話を取り出した。携帯の電源を入れ、アドレス帳を開き、もう二度と連絡することはないと思っていた番号を表示させる。
 数ヶ月前に送られてきたメールは返信しないまま、結局無視をしてしまった。そんな態度をとっておきながら、今から電話で話す内容は突然で迷惑なことだってわかっている。
 だが、今度こそアイツに向き合いたい。たとえまたスランプに悩まされたとしても。あの夢のように本当に走れなくなる日が来ても、この絆を、決して失いたくはないのだ。
 通話ボタンを押し、携帯を耳に添える。呼出音が六回鳴ったところで電話を切ろうとすると、受話口から旧友の声が聞こえてきた。

『……もしもし?』
「オレ、荒北だけど……」

 明日の夕方、と会う前に。南雲と会って過去のけじめをつけにいこう。