栄光のサクリファイス 94話

 ファミレスを出た後、ポケットに手を突っ込んだ荒北くんが待宮くんに振り返る。

「じゃーな待宮ァ。財布戻ったら絶対に金返せよ」
「エエ!? ここでお別れか!?」
「だーかーらァー、テメーの相手してるヒマねェっつってんだろ!」
「ここで会ったのもなにかの縁じゃ。観光名所のひとつやふたつ、ワシに案内してもええじゃろ!」
「あーあー聞こえねー。行くぞ
「いいの……?」
「今日はアイツと遊ぶ日じゃねェし」

 後ろで叫ぶ待宮くんを頑なに無視して、荒北くんが私の背中を押して歩く。
 待宮くんと別れた後、荒北くんに連れていかれたのは意外にもカラオケだった。四人部屋に通されて、荒北くんが先にソファに座る。私も反対側のソファに座ると、荒北くんがきょとんとした。

「歌うのか?」
「えっ、歌わないの?」
「カラオケあんまり好きじゃねーし。オレは歌わねェからこっち来いよ」

 じゃあなんでカラオケに来たんだろう。疑問に思いながら荒北くんの隣に座ると――突然、頬に手を添えられてキスをされた。心臓がドキンと跳ねて、目を閉じて口づけを受け入れる。荒北くんの腕が背中に回り、ぎゅっと抱きしめられた。

「待宮のせいでだいぶ待たされた」

 荒北くんの心臓の音が伝わってくる。冷房の効いた室内に、荒北くんの体温はとても心地よくて、しばらくこのままでいたいと思ってしまう。

「荒北くん……」
「……少しの間、膝貸せ」

 荒北くんが私の膝に後頭部を乗せてソファに寝転がる。くすぐったい感触に身じろぎしそうになるけども、ぐっとこらえて我慢した。

「昨日、どこ行くか考えてたらあんまり眠れなかった……。どっかの広島ヤロウのせいで台無しになったケドな」

 体を少しだけ回転させて、机のある方向に顔を向ける荒北くん。

「飽きたら起こしていいから」
「ううん、私も眠いからこのままでいい」
「そっか」

 荒北くんが目を閉じる。まるで、お昼寝している猫みたいだ。荒北くんの髪の毛をなでると、さらさらとした感触がした。あまりにも心地よくて、何度も髪の毛をなでてしまう。
 こうやっていると、荒北くんと本当に恋人同士になったんだなって思う。今まで、あんなにずっと一緒にいたのに……。キスされたり、膝枕をしているだけで心臓は早鐘を打ってしまう。ここまでドキドキするなんて思わなかったな。
 髪をなでるのをやめて目を閉じる。テレビから聞こえる音楽番組の音声を聞きながら、眠りの世界に落ちていく……。
 ………………ダメだ、やっぱり寝れない。さっきからあえて気づかないフリをしていたけれど、ドアの向こうから見ている人がいる。
 ドアの向こうにいる人を確認しようとした時、先に荒北くんが起き上がった。眉間に青筋を立てた荒北くん。ソファから立ち上がり、ドアを勢いよく開ける――!

「テッメェ待宮ァァァ!! どれだけ妨害すりゃ気が済むんだっ!! っていうか、どこまで見てた!?」
「どこまでって、お前ら膝枕しかしてないじゃろ」
「そ、それならいいケド」
「カラオケ行ってやらしいことすんのかと思ったら、膝枕だけとか中学生でもやらんわ」
「るっせ!! オレにはオレのやり方があんだよ!!」
「どうじゃ、ワシの歌でムードを盛り上げてやろうか?」
「一度とならず二度までも……もう許さねェ。テメェマジで覚悟しろ」

 いきなり携帯を取り出して耳に添える荒北くん。一体誰に連絡するんだろう。
 そしてしばらくした後、荒北くんの手配で四人部屋から大人数が入れる広い部屋に移動すると……

「久しぶりだな、待宮」

 腕を組んだ福富くんと、

「貴様はあの時の!」

 眉を吊り上げた東堂くんと、

「待宮くんって、たしかオレと同じスプリンターなんだよね」

 モグモグとパワーバーを食べている新開くんの三人がいた。

「どうだ待宮ァ! 敵に囲まれる気分はァ!」
「なるほど、たしかにあんまりええ気分じゃないな」
「で、荒北くんはみんなを集めてどうするつもりなの?」
「特になにも考えてねェ」
「えっ」

 荒北くん、待宮くんが嫌がる顔だけが見たくてみんなを呼んだの……!? 計画性のない荒北くんの行動に言葉を失う。
 しかし、そこは箱根学園自転車競技部。機転を利かせた東堂くんが、テレビの前に立つ。

「みんなでカラオケといったら、やることはひとつだろう。第六回、カラオケ大会ー!」
「オレポテト注文するけど、みんなはなに頼む?」
「唐揚げとベプシ」
「私もベプシ」
「オレはりんごジュース」
「人の話を聞けぇぇぇ!」
「ちなみに、優勝者はなにがもらえるんじゃ?」
「そうだな。広島くんはなにがいいと思う?」
「ワシは……そうじゃなぁ。ちゃんと一日デートする権利……」

 待宮くんが言いかけた時、荒北くんが本日三回目のヘッドロックをかける。

「優勝者にはカラオケ代おごるってよ! 待宮がァ!」
「ワシが勝ったらどうなるんじゃ……」
「そのときは仕方ねーからオレがおごってやんよ。ま、福チャンには勝てないだろうけどなぁ!」

 不敵に笑う荒北くん。こうして、第六回カラオケ大会の幕は開かれた。


 最後まで歌いきった東堂くんが、すました顔でマイクのスイッチを切る。

「どうだ、オレの歌声は?」
「……イケメンにも、得手不得手ってあるんじゃな」
「フッフッフ。三物もある上に美声のオレがうらやましいか!」

 東堂くんの言葉に、待宮くんが唇を結んで黙る。……そう、東堂くんはちょっとカラオケが下手だ! どこがどう下手なのかうまく説明はできないけれど、とりあえずなにかがずれている。……東堂くん本人は、うまいと思っているみたいだけど。

「あ、福富くんの十八番がきたね」

 テレビから聞いたことのあるメロディが流れてくる。卒業式のときに決まって歌うことで有名な「仰げば尊し」。だが、ただの歌だと侮ることなかれ!

 無表情で歌いきった福富くんがマイクのスイッチを切る。

「なんじゃ……この歌って、こんなにも神々しい歌じゃったんか……」

 福富くんの歌を聞いた待宮くんが脱力する。それも無理はない。仰げば尊しなど、誰しもが聞いたことがあるであろう曲を選ぶ福富くん。彼がマイクを握るとオペラ歌手のような凄みがあって、聞いた後は放心してしまうほどの感動がこみあげてくるのだ! さらに新開くんがいるとき、気を利かせてバッグコーラスを歌ってくれるのでさらに凄みが増す。泰野コンビの歌声は秀逸で、合唱部に入ったら今頃歌声コンクールで入賞も夢じゃなかったはずだ。

「さぁ、次は広島くんの番だ!」

 続いてマイクを手に持ったのは待宮くん。テレビには最近耳にしたことのあるバラードが流れ出す。

「どうか幸せで」

作詞:井尾谷諒 作曲:東村尊大
歌:待宮栄吉 with 広島呉南工業高校 自転車競技部の皆さん

とある夏の日 オマエにこう言った
他に好きな女ができたから別れてくれ
本当は夢をかなえるために オマエを振った
ワシは嘘をついたんじゃ

別れてから いくつもの月日が経った
時々一人で歩く帰り道が寂しく感じる
オマエは今 別の男と一緒にいるんじゃろうか
別の男の腕に抱かれてるんじゃろうか

他の女と話してても 仲間と話してても
いつも考えるのはオマエのことばかり
ヨリを戻したいなんて言わんぞ(言えない)
ひとつだけ願いがかなうのなら どうか幸せで

 待宮くんが歌っている最中、私の隣で唐揚げを黙々と食べていた荒北くんがうとうとする。
 気がつけば新開くんと東堂くんが肩を寄せ合ってくうくうと眠っていて、福富くんは起きている……かと思いきや、かすかに寝息が聞こえる。目を開けて寝ているのだ! あぁ、なんだか私も眠くなってきたような……。
 眠りに落ちる寸前、あることを思い出して荒北くんに話しかける。

「ねぇ、荒北くん」
「……んぁ、なんだ?」
「そういえばこれ、採点モードにしてないね」
「………………あ」

 こうして、第六回カラオケ大会は採点忘れ&待宮くん以外みんな眠ってしまったため無効試合となった。

「なんでオレがオメェの分まで払わなきゃいけねーんだよ!」
「最初会った時、財布落としたって言ったじゃろ」
「だったらオレらの後つける前にとっとと交番行って取ってこいよ! 腹立つから三倍にして返せ!」

 後ろで言い合っている荒北くんたちを放っておいて、福富くんたち三人と一緒にカラオケを出る。すっかり日が暮れて、空からはカラスの鳴き声が聞こえる。

「久しぶりに行ったけど楽しかったな。寿一はどうだい?」
「りんごジュースがうまかった」
「カラオケと全然関係ないではないかっ」

 福富くんのボケに東堂くんがツッコむ。天然な幼なじみに笑いながら、後ろにいる荒北くんたち二人に振り返る。

「この後待宮くんはどうするの?」
「そうじゃなぁ。この中の誰かの家に泊めてもらおうかのぅ」
「バーカ。オレたち寮なんだよ。泊めらんねーよ」
は違うけどね」
「じゃあワシ、ちゃんの家に……」

 荒北くんがすっと、待宮くんの首元に腕を添える。

「嘘ですゴメンなさい」
「テメェはそこら辺で野宿でもしてろ」

 うなだれる待宮くんに、携帯を耳から離した東堂くんが声をかける。

「広島くん。今麗子……姉に連絡を取ったのだが、よかったらうちの旅館に泊まるか? ちょうど一部屋空きがあってな」
「ええのか!?」
「あぁ。ダメもとで連絡してみたのだが、『ちゃんに後で借りを返してもらうわ』とか言っていてな。本当に麗子と仲がいいのだな、ちゃんは」

 明るく笑う東堂くん。今のは聞かなかったことにしておこう。

「あと数分で車に乗ってここに来るようだが……」
「私、先に家に帰るよ」

 お姉さんと会ったらまたなにをされるかわかったもんじゃない。今日はこの辺でおいとましよう。

「む、そうか。暗くなってきたし、一人で大丈夫か?」
「オレが送る。コンビニでベプシ買いてェし」
「オレたちはここに残るよ。うわさの尽八にそっくりなお姉さん見たいし」
「そうだな」

 ちらりと一瞥すると、新開くんは片目を閉じて、福富くんはぽっと頬を赤らめた。……たぶん、荒北くんとふたりっきりにさせてあげようと気を遣ってくれたのだろう。

「じゃーな待宮。もうついてくんなヨ」
「あぁ、また明日な」

 待宮くんの言葉になにか引っかかるものを感じながら、荒北くんとふたりで帰路を歩く。最初は黙って歩いて、人気が少なくなった頃に荒北くんがようやく口を開いた。

「今日は散々な日だった。待宮のヤロウ絶対に許さねェ」
「あはは……。でも、久しぶりのカラオケ楽しかったよ。今年の春から一回も行ってなかったし」
「そういやそうだったな」

 今年の春からインハイに向けて練習に専念するようになって、みんなで遊ぶ機会はぐんと減った。今日は色々と予定がずれちゃったけれど、いい息抜きになった。
 カラオケでの出来事を思い出して、くすりと笑みがこぼれる。油断していた時、手になにかが触れる感触がした。

「荒北くん……?」
「誰も見てねェし、いいだろ」

 気がつけば荒北くんの指が、私の指と交互に絡みあって、ぎゅっと手をつないでいる。私も握り返して、無言で帰路を歩く。
 橙色だった空は次第に藍色が混ざり、だんだん暗くなっていく。

「今度またデートに誘うからよ。楽しみにしとけ」
「……うん」

 荒北くんの手をぎゅっと握る。今日は荒北くんとふたりっきりでいる時間はあんまりなかったけれど、胸の中は甘い気持ちで充分に満たされている。