栄光のサクリファイス 96話

 校内を一周して、最後に訪れたのは屋上。屋上のフェンスに体を預けて、待宮くんが一息つく。

「はぁ~。さすが金のかかった学校。ウチの学校とは色々違うんじゃな」
「満足か?」
「そこそこ。これでオンナのひとつやふたつできたらいい土産になるんじゃがのぅ」

 「……なんでオレこんなことしてんだろ」ぽつりとつぶやいた荒北くんの言葉に、小さく苦笑する。

「喉が乾いたのぅ」
「私、なにか買ってくるよ」
、待宮のパシリなんかするなよ。コイツが調子づくだけだ」
「いいよ、私も喉乾いたし。荒北くんもいつものでいい?」
「あぁ、いいけど……」
「じゃあ私行くね」

 荒北くんに引き止められる前に屋上を出て、階段を下りる。いつもの癖で気を遣ったのもあるけれど、私が飲み物を買う理由はもうひとつある。待宮くんは、荒北くんに話があるのかもしれない。
 だからあえて飲み物を買いに行くことにして、ふたりっきりにさせた。きっと、男の子同士じゃないとできない話もあるのだ。
 自販機でベプシを三人分買う。買ったばかりのベプシを両腕に抱えて来た道を戻り、開きっぱなしのドアの先にある屋上に一歩足を踏み入れる。
 そろそろいい頃合いだろうか。奥にいる二人に声をかけようとした時――

「ダチの話じゃ。ダチ……自転車部のダチが、自分が速くなるために、長い間付き合っていたカノジョと別れたんじゃ。この前のインハイの表彰式の後、久しぶりにカノジョに会ったんじゃが見ない間に随分ときれいになってのぅ。そのダチはカノジョと一緒に過ごすようになって、やがてヨリを戻したいと思うようになったんじゃ」

 真剣な顔で荒北くんに相談を持ちかける待宮くんを見て、とっさに口をつぐみ、物陰に隠れる。
 荒北くんはフェンス越しの景色を見ながら、待宮くんの話を黙って聞いている。

「じゃが、迷ってるんじゃ。そいつは自分が強くなるために、カノジョのことを切り捨てた。挙句の果てには他校に恨みを買ってでも、優勝しようとしたんじゃ。そんな卑怯な自分にヨリを戻す権利はない。そう思ってるんじゃが、このまま他の男に取られるのを黙って見るのも嫌なんじゃ……」

 待宮くんの顔が悲痛に歪む。今にも泣き出しそうな顔が、私の胸を強く締め付ける。

「あの時荒北はこう言ったのぅ。前を見なければ強くなれない。……でもそいつは、荒北みたいには強くなれないんじゃ」
「バカ。テメーあん時オレの話マジメに聞いてたのかよ」

 荒北くんが目を眇めて待宮くんに視線を向ける。

「そんなにウジウジしてんだったらそいつに土下座でもして謝ってこいよ。……なんかあった後で、あん時こうしてりゃあって後悔しても遅いんだ」

 荒北くんの言葉が、待宮くんの心に刺さったのだろうか――。待宮くんはきょとんとして、顔をくしゃくしゃにして笑った。

「そうか……。答えは簡単じゃったな。箱根まで来た甲斐があったワ」

 待宮くんが空を仰ぐ。
 待宮くんは友達の話だって言ってたけど、私には彼自身の話に思える。
 彼女とよりを戻したくて、でも色んな思いが積み重なって一歩踏み出せない待宮くん。そんな待宮くんは荒北くんのまっすぐな言葉で、彼女と向き合う決心をしたのだ。
 始業式の日からずっと疑問に思っていた。なぜ、待宮くんがはるばる広島からここまで来たのか。二人の話を聞いてようやくわかった。待宮くんは荒北くんと関わることで、ずっと迷っていた問題の答えを出したかったんだ。
 ――穏やかな風が吹いた。もうそろそろ、二人のもとに戻っていいだろうか。物陰から出ようとすると、待宮くんが口を開く。

「オマエはこの先、なにを目指すんじゃ」
「今のところ志望校に受かることしか考えてねーよ」
「あの時あんだけ大口叩いてたオトコが小ちゃくまとまったのぅ。自転車にはもう、乗らんのか」
「さぁな。オレはもう、行くところまで行った。その先のことなんてなにも考えちゃいねーよ」

 荒北くんの言葉に、ちくりと胸が痛む。
 やっぱり、荒北くんは大学生になったら自転車はやめちゃうのだろうか……。彼の夢がかなったことを思えばそれは当然のことだけど、同時に寂しいと思ってしまう自分がいる。

「……そうか。それならいいんじゃ」

 なぜか不敵に笑う待宮くん。

「強くなったワシに、ちゃんが惚れるじゃろうからなぁ」

 ――えっ?
 待宮くんの突然のライバル宣言に、危うく手に持っていたベプシを落としそうになる。
 荒北くんも驚いて、困惑した顔で待宮くんを見ている。

ちゃんはええオンナじゃのぅ。荒北のカノジョにしておくのはもったいない」
「なに言ってんだテメェッ!! ハッ、まさかのこと……!!」

 こ、これは一体どういうことなの!? 私、待宮くんに好かれるようなことなにかしたっけ……!?
 二日間の出来事を慌てて振り返ってみるけれど、特に覚えはない。
 待宮くんは一体どういうつもりなのだろう。こんなこと言っても、荒北くんを怒らせるだけじゃないか……!

「あぁ、そうじゃ。たまには人のモノに手を出すのもええじゃろ」
「……テメェ。本気で許さないぞ」

 荒北くんが待宮くんの胸ぐらをつかむ。止めに入ろうかと思ったけれど、ニヤニヤしている待宮くんを見てやめた。
 たぶんだけど、待宮くんは私のことはなんとも思っていない。ペテンをかけて相手を操るのは彼の得意技だ。それを思えば、きっとなにか別の目的があるはずだ……。

「あの時は負けを認めたが、負けっぱなしは嫌いなんじゃ。もし荒北が自転車やめるんじゃったら、ワシは今度こそ大きなレースで優勝を取る。強くなったワシが口説けばちゃんなんてイチコロじゃろ」
「テメーが思ってるほどは軽い女じゃねーよ」
「エエ! 学習しない男じゃのう! その油断がインハイ最終日で集団に呑まれる隙を作ったんじゃ!」

 待宮くんが荒北くんの手をほどき、出口に向かって歩く。

「そうと決まったら地元に帰って受験勉強しないとのぅ! まずは大学に受からんと一歩も先に進まんからな!」

 待宮くんが開けっ放しの屋上のドアに近づいていく。
 物陰から姿を現すと、待宮くんは大して驚かなかった。

「やっぱり見てたんか」
「私の名前が出てきてびっくりした」
「エッエッエッ。にしてもあの怒りよう、よっぽどちゃんのことを取られたくないんじゃな」

 待宮くんが私に近づいて顔を寄せる。

「アイツは口は悪いし、アクシデントが起きた時にテンパるクセがある。おまけに嫉妬深い純情バカじゃ。乗り換えるなら、早いうちがオススメじゃ」
「それも含めて、荒北くんが好きだから」

 待宮くんが満足げに笑って、私から離れる。

「ダチが見たら、うらやましがりそうじゃ」

 そう言って待宮くんは階段を下りていく。
 ――待宮くんが広島に帰る前に、ひとつ伝えたいことがある。

「待宮くん」

 踊り場に着いた待宮くんが、私に向かって顔を上げる。

「なんじゃ」
「待宮くんって去年の秋に、大雨が降っていたレースに出場してたよね?」
「そうじゃが……」
「私、その時観戦に来てて、広島の高校の女の子と会ったの。名前は忘れちゃったけれど、驚いた時に『わぁ』って驚くかわいい女の子だった」
「アイツと会ったことがあるんか……」

 驚いた待宮くんの瞳が揺れる。……よかった、私の思ったとおりだ。

「その子、別れた後も待宮くんのことが好きで……でも、待宮くんがインハイで優勝するには自分が引き下がらなきゃいけないって言ってた! たぶん今も、待宮くんのことが好きだと思う」

 いつかどこかのレースで彼女と再会したら、こう言おうと思っていた。
 ――それはひとつの選択かもしれないけれど、それでも私は好きな人と一緒にいた方がいいと思う。
 離ればなれになってもお互いのことを思っているならば……一緒に傷つくよりも、一緒に壁を乗り越えることで強くなることができるはずだって。まさか、待宮くんに言うことになるとは思わなかったけれど。
 昨日、家に帰った後、織田くんに電話でお願いして去年の秋のレースのことを調べてもらった。その時レースに出場していた広島の学校は広島呉南工業高校のみ。そして、そのうちのたった一人の出場者は待宮栄吉という。
 レースで会った女の子と連絡先を交換していれば、もっと待宮くんに協力できたのだけれど。私が彼にできるのは、残念ながらここまでだ。

「……そうか。佳奈はあの時もレースを見に来てくれたんじゃな……」

 待宮くんが優しげに笑う。
 待宮くんは彼女――佳奈ちゃんのことが好きなんだ。別れてから一年が経った今も。

「次はワシが佳奈に会いに行く番じゃな」
「待ってるよ。きっと」

 待宮くんが階段を下りようとして、再び私に向かって顔を上げる。

「荒北のこと、大切にしい。ワシも佳奈とヨリを戻すことができたら一生大切にする」

 そう宣言して、軽やかに階段を下りていく。
 もう、待宮くんは大丈夫だ。晴れやかな気持ちで踵を返し、屋上に向かう。
 屋上に行くと、日が沈み始めていた。ほんのりと橙色に染まった空の下、景色を見ていた荒北くんが振り返る。

「……
「ま、待宮くんは?」

 一応、会わなかったフリをして聞いてみる。二人の会話を聞いていたことを言ったら怒られそうだ。

「さぁな。先帰ったんじゃね。……んなことはどうでもいいんだ」

 真剣な表情をした荒北くんが近づいて、私を壁際に追い詰める。さっきの嘘だってバレちゃっただろうか。言い訳を考えているうちに、荒北くんが壁に両手をついて逃げられなくなってしまった。

「荒北くん……?」
。オレから目を離すなよ。今はこんなんだけどよ……オレはまた頂上を目指すから。お前のことは絶対に離さない」

 腕に抱えていたベプシの缶が一本、アスファルトに落ちる。
 荒北くんの顔が近づいて、唇が重なった。今までよりも力強いキス。顔が熱くなって、頭の中が蕩けそうになる。

「荒北、くん」

 やっと開放された唇で荒北くんの名前を呼ぶと、二度目のキスをされた。
 ――荒北くんともっとキスがしたい。今度は荒北くんのことしか考えられなくなってしまうような、さっきよりも激しい口づけが欲しい。
 そう思った私はわざと缶を落として、荒北くんの背中に手を回した。

 ◆

 荒北の話を聞いた。
 中学の頃、肘を故障して子どもの頃からの夢だった野球を諦めたこと。
 それを周囲のせいにして日々を過ごし、高一のある春の日福富に出会ったこと。
 福富とのレースでロードバイクに興味を持ち、何度倒れてもロードバイクに乗る荒北に「前だけを見ろ」と福富にアドバイスを受けたこと――。
 荒北は待宮と似ているようで違う。
 恨みを胸に、強くなった待宮。
 過去のことを蒸し返しては誰かに八つ当たりすることをやめ、前を見ることで強くなった荒北。
 ……それがどうしたというのだ。体育会系の精神論なんかに、ワシは騙されない!!

 荒北がサイクルジャージのポケットに手を触れる。補給食でも取り出すのかと思ったが、ポケットの上に手を触れただけで終わった。今のは願掛けかなにかの類なのだろうか。

「こっから先は濁ってちゃあ行けない領域。純粋な気持ちだけになんねーと行けない領域なんだよ待宮ァァァ!!」

 荒北がペダルを踏む。待宮も慌ててペダルを踏むが、もう遅い。
 荒北がだんだん遠ざかっていく。
 一瞬見惚れていた!? そんなバカな!!
 荒北の強さを認めない!! 箱学の犬なんかに負けたくない!!
 肘を壊して野球をやめただァ!? そんなのはどうだっていい!!
 ワシは荒北以上にもっとつらい思いをした!! あの日つかみかけた優勝だって、福富がボトルを分けてくれれば未来は変わっていたのに!!!!!
 ――もう一度、鳥の鳴き声が聞こえた。
 待宮の頭上で鳴いていた白い鳥が、荒北と並走しながら飛ぶ。
 ――そんなに重い荷物を持っていたら、速くなれないのは当然だ。
 待宮を軽く笑い飛ばすように、滑らかに飛んでいく。
 旗二本分まであと少し。
 荒北はここに来るまでにどんなにつらい練習をこなしてきたのだろう。
 待宮と同じタイプの人間だ。投げ出したくなったことだって何度もあるだろう。
 どこまでも強い荒北が、
 水色のサイクルジャージが、
 どんどん待宮から遠ざかる。
 井尾谷の声に、顔を上げる。
 荒北が振り返り、待宮に向かってなにかを喋っている。

「レース終わったら一緒に飲もうぜ、ベプシ。奢ってやるよ、オレが」

 鳥が、上空に向かって羽ばたいていく――。

「強ぇよ! おまえ」

 白い羽が待宮を包む。
 羽と共に、風に乗って流れるのは待宮の涙。
 ワシは荒北に負けたんじゃ――。

「追いかけようミヤ!!」

 井尾谷の言葉に待宮がかぶりを振る。

「やめろ井尾谷。負けたんじゃよ、ワシらは――」


 バスの振動で目が覚める。インハイの時の夢を見た。
 インハイ最終日、あともう少しで優勝がつかめそうだったところを、荒北に邪魔されてしまった。
 だが、不思議と未練はない。むしろ全力で戦った相手が荒北でよかったと思っている。
 もし、あの時荒北が喰らいついていなければどうなっていたのだろう。……たぶん、別の誰かが待宮を食い止めていたのだろう。負の感情のツケは、いつかどこかで払わなければならない。
 バスから下りて、輪行袋から出したロードバイクのフレームをなでる。
 ――荒北に会って覚悟は決まった。さぁ、聖純に行こう。
 自転車に乗って、聖純高校に向かう。


 正門にいる警備員の目を掻い潜り、放課後で人気のない校舎の中に入る。たしか佳奈のクラスは三年一組だ。階段を駆け上がり、「三年一組」と書かれた表札の教室を目指して全力で走る。

「佳奈!!」

 ドアを開けると同時に彼女の名前を呼ぶと――教室にいたのは聖純の制服を着た、男子生徒二人だけだった。

「だ、誰」
「佳奈はもう帰ったんか……」

 あともう少し早く来ていれば佳奈に会えただろうか。待宮が肩を落とし、踵を返そうとすると――。
 ガタイのいい男が、待宮に近づいてくる。

「赤毛の呉南……お前、待宮か」
「お、おい高砂」
「だったらなんじゃ」

 高砂が大きく拳を振りかぶり、待宮を殴り飛ばす。

「高砂!!」
「いまさらどのツラ下げて佳奈さんに会いに来たんだ。去年、他に好きな人ができたって言われたって佳奈さん泣いてたんだぞ!!」

 高砂が待宮の胸ぐらをつかみ、何度も殴る。

「今年のインハイだって、最終日に他校利用して優勝狙ってたらしいじゃねェか。テメーみたいなクズに誰が佳奈さんの居場所を教えるんだ。とっとと消えろ!!」

 高砂に顔面を踏みつけられる。
 突然殴られるとは思わなくて無様に殴られてしまったが、こんなもの不良相手のケンカに比べればまだまだ生ぬるい。――だが、心はズキズキと痛んでいる。

「佳奈のこと好きなんじゃな。ワシより、お前みたいなヤツの方が佳奈にはふさわしいかもしれん」

 高砂が待宮の言葉に耳を傾ける。待宮の顔から足を離すと、待宮の顔面にはうっすらと上履きの痕が残っていた。
 インハイでは賞を取ることができず、代わりになにかを得ることもできなかった。だが、それでも譲りたくないものがある。

「じゃがワシは、どうしても佳奈とやり直したいんじゃ。別れてから佳奈のことを忘れた日は一度もない」

 力をこめて床に手をついて立ち上がる。高砂に何度殴られても、何度だって立ち上がってみせる。

「ワシは、アイツと一緒にいたいんじゃ……。大事なものは、しっかりと手をつかんで離さない。それをライバルに教えてもらったんじゃ」

 インハイ最終日の表彰式の後、ベプシを飲みながら荒北と話したことを思い出す。
 かつて荒北も、速くなるために大事なものを捨てようとした。だが荒北は取り返しのつかないことが起きた後で後悔して、大事なものを手放さずに強くなることに決めた。
 ――あの男の強さに憧れた。そんな待宮が選んだ道は――佳奈と共に、これからを生きることだ。
 高砂は待宮を見下ろして、唇を噛み締める。

「……佳奈さんなら中庭だ。走れば間に合うんじゃないのか」
「……恩に切る」

 待宮が教室を飛び出す。

「いいのか、高砂……?」
「いいんだ。オレには、佳奈さんを幸せにできない……」


 中庭で佳奈の姿を見つけた。美化委員でもやっているのか、じょうろを持って花に水をあげている。

「佳奈!」
「わぁ、栄吉くん……!? なんでこんな所に」
「佳奈!! もう一度ワシと付き合ってくれ!!」

 花に囲まれた中で、待宮が地面に手をついて土下座をする。

「あの時、他に好きなオンナができたって言ったのは嘘なんじゃ!! 本当はインハイに専念したくて佳奈を捨てた……!!」
「……知っとるよ。最初は真に受けてしもうたけど、部活頑張ってる栄吉くんの話を聞いて、そうなんじゃって思った」
「佳奈……」

 きっと佳奈は、待宮のことを恨んでいると思っていた。
 今まで胸の奥にあった氷の塊が、太陽の光に溶かされたようにすうっと溶けていく。

「……ずっと、箱学が憎かったんじゃ。去年の二日目のインハイでボトルが割れてのぅ。ワシは箱学の復讐で頭がいっぱいじゃった」
「……うん」
「けど、今年のインハイで荒北というヤツに会ってのぅ。そいつに言われたんじゃ。純粋な気持ちだけにならないと速くなることはできない。……ワシは、荒北に負けたんじゃ」

 忘れることのできない、水色のサイクルジャージの背中を思い浮かべる。
 勝負には負けてしまったのに、あの時のことを思い出すと清々しい気分になる。
 もし、レースで再び荒北と相まみえる日が来るとしたら……今度は純粋な強さを身につけて、全力で勝負をしたい。
 そのためにはまずは一歩。傷つくことを覚悟で、大事なものを取り戻そう。

「ムシがいいとわかっとる。じゃが、三日間旅をして、やっぱりワシは佳奈と一緒にいたいと思った。……大切なモンは絶対に手放すな。ワシは荒北にそれを教えてもらった。だから……もう一度ワシと付き合ってくれ!! どんなにつらいことがあっても、絶対に手を離さん!! ワシは佳奈とずっと一緒にいたんじゃ!!」
「プロポーズ、みたいじゃね」

 佳奈がぼろぼろと涙を流す。

「うちも、栄吉くんと一緒にいたい。これから先、うちがまた足引っ張ることがあるかもしれへんけど……。それでも、インハイの次の二度目のワガママじゃ。うちとずっと一緒にいてほしい」
「あぁ、もちろんじゃ」

 佳奈が差し出した手に、待宮が手をつかんで立ち上がる。
 一緒に笑い合う二人に、建物の影から見守る、呉南の制服を着た五人の男たちがいた。

「栄吉さん……ぐすっ」
「いきなり一人旅に出るって聞いた時には驚いたけど、男前になって帰ってきたのぅ」

 佳奈にハンカチで顔の汚れを拭われる待宮を見て、井尾谷が微笑する。

「ミヤはようここまで頑張った。少しくらい報われてもいいじゃろ」

 井尾谷の頭に浮かぶのは、彼の運命を大きく変えた屋上での出来事。
 あの日待宮がインハイに行きたいと言わなければ、今の自分はなかっただろう。
 待宮の幸せは、井尾谷にとっての幸せでもある。