栄光のサクリファイス 122話
靖友くんと二人で江ノ島の砂浜を歩く。
「あぁ、さみぃ。人っ子一人いねーじゃねーか」
靖友くんが白い息を吐きながら言った。
今海には、私と靖友くん以外誰もいない。クリスマスイヴといえど、冬の海をデートに選ぶ人はさすがにいないみたいだ。
「もう少し、暖かい時期に来ればよかったかな」
言い出しっぺは私だけど、想像以上に寒い海にちょっとだけ後悔する。
かじかむ手に息を吹きかけていると、突然立ち止まった靖友くん。何事かと思いきや、急に手を差し出して、
「ほら、手」
短い一言でやろうとしていることを理解して、彼の手をそっと握る。そのままコートのポケットの中に手を入れられて、少しだけ温かくなる。
「こうすりゃ、多少は温かくなるだろ。……行くぞ」
手をつないだまま、誰もいない砂浜を二人で歩く。
澄みきった高い空の下には、果てしない海が広がっている。波が静かに寄せては返り、砂浜を濡らしていく。
夏はにぎやかなイメージがあるけれど、この時期に来るとどこか切なさを感じる海。インハイ初日に見た時とはまた違う趣だ。
「お、あそこにスコップがあるじゃナァイ」
しばらく歩くと、突然足を止めた靖友くん。砂浜の上に落ちていたスコップを拾い上げる。
「潮干狩りでもするの?」
「ちげーヨ。にカッコいいところ見せてやんよ」
スコップを片手に得意げな顔をする靖友くん。一体なにを始める気だろう。
――数分後。靖友くんが作ったものに、私は感嘆の声を上げた。
「す、すごい。お城だ……!」
砂浜には、小さくて立派なお城ができていた。入り口や窓が丁寧に掘られていて、再現度が高い。これ全部靖友くん一人で作ったのだからさらに驚きものだ。
「靖友くんって意外に器用なんだね」
「意外は余計だっつーの」
「前から思ってたんだけど、オレのことからかうようになってきたな」ジト目で見る靖友くんに笑ってごまかす。
「練習したの?」
「いいや、これは元からできる。中一の頃、南雲たちと一緒に海に来たことがあってよ。そん時に砂で色んなモン作って、オレが一番作れる代わりに南雲が一番下手だった。アイツ、ああ見えて超がつくほどの不器用なんだぜ。裁縫も全然できねーの」
南雲くんがそんなに不器用だったなんて……。東堂くんみたいになんでもそつなくこなせる人だと思ってたからなんだか意外だ。……あと、器用な靖友くんにも驚いて二重でびっくりだ。
「あれから海には全然行ってねェなぁ。こんな冬に、来るとは思わなかったけど」
「来年の夏、一緒に海に行く?」
「いーや。の水着姿、誰にも見せたくないし」
返しづらい言葉を言われて返答に困る。もちろん、嫌なわけじゃない。ただ、こんなにストレートに言われるとは思わなくて、頭の中がパンクしてる。
「んじゃ、行くか」
靖友くんが立ち上がり、私を置いて先に歩いていってしまう。一夜だけの立派なお城をしっかりと目に焼き付けて、靖友くんの後を追った。
靖友くんは海を見ながら歩いている。さっきまではなかった風が少しだけ吹くようになって、風でなびく髪を手で抑えている。
「海見てると、あの頃思い出すな。去年の冬のサイクリングロード。あの日お前に昔のこと話して、その時の夕焼けがきれいだったの覚えてる」
昔を懐かしむように目を細める靖友くん。
「別に、風景楽しむなんてのんびりした趣味はないけどよ。なんか、といると時々景色がきれいに見えるんだよな。なんでだろ」
「靖友くん……」
「あーさみっ。……あ、あそこに自販機あるな。ひとっ走りすんぞ」
「えっ、あ、待ってっ」
慌てて靖友くんの後を追いかけて、階段を上がった先にある沿道の自販機に向かって走る。
心臓がばくばくと鼓動を打っている。靖友くんが私をドキドキさせたせいなのか、走ったせいなのか、今となってはどっちかわからない。
石垣に背中を預けて、靖友くんと二人で座る。「あったけー」靖友くんの片手には、いつものベプシではなくコーヒー缶がある。
「今日はベプシじゃないんだね」
「こんな寒い所で冷たいモン飲む気にはならねーな」
そう言ってコーヒーを飲む。
「……寄っていい?」
「あぁ」
靖友くんの肩に頭を乗せる。
黙っていると、静かに波打つ音が聞こえてくる。こうしていると、この世界に靖友くんとふたりきりになってしまったみたいだ。
「海って聞いた時はどうすんだって思ったけどヨ、案外悪くねーな」
「ずっと、この時間が続けばいいのに」消え入りそうな声で靖友くんが言った。
「……なぁ、。……好きだ」
「…………知ってるよ?」
「そうじゃなくてェ!! ほら、アレだ。流れみたいなモン。別にボケてるわけじゃねーよ」
コホン。靖友くんが咳払いをした。
「はどうなんだよ」
「……私も、靖友くんのことが好きだよ」
靖友くんと視線が交わる。
かすかに唇を動かした靖友くんの顔が近づく。そっと目を閉じて、無防備にそれを受け入れた。
長い時間キスをした。唇を離した靖友くんと目が合う。
「……そういや、前から聞こうと思ってたんだけどよ。福チャンとか、なんかムカつくけど新開とか、東堂とか……オレ以外にもいいヤツがいただろ」
「福富くんは幼なじみだし。東堂くんはおもしろい人だし、新開くんは優しい人だなって思ってたけど、怖い顔で走るのが印象に残ってて……」
「そういやそうだな。馴染みすぎててすっかり忘れてたケド、初見にゃアレはビビる」
「そう言う靖友くんも人のこと言えないよ?」
「オレ、走ってる時変な顔しねェし」
「でも、ゴール前になると人変わるよ? 『ゴールの臭いだぁぁ!! 食わせろ、最強の称号をぉぉぉ!!』とか言ってるし」
その時の口調を再現しながら言うと、靖友くんは腕に顔をうずめた。相当落ち込んでるみたいだ。
「……オレ、今度から福チャンみたいに走るわ」
鉄仮面の靖友くんを想像する。……今泉くんとキャラが被ってしまいそうだ。
「正直に言えば、靖友くんと初めて会った時、怖い人だなって思ったのが第一印象だった。……でも、夢を打ち明けてくれたあの日、私は靖友くんの力になりたいと思った。たぶん、靖友くんのことを好きになったのはその時だと思う。……靖友くんは?」
「オレは……いつからかわかんねーけど、お前に優しくしようって決めたのは祭りの夜からで……それからが福チャンを抱きしめてるところ見て、無性に腹が立って……」
「私が福富くんを?」
そんなことあったかなぁ? 思い出そうとすると、突然靖友くんが立ち上がった。
「今のなし、なし!! やめよーぜこんな話っ!! 寒い通り越して暑くなってきたヨ!!」
砂浜に向かって走り、すばやく石を拾って海に投げる靖友くん。すごい。何メートル飛んだのかわからないけれど、華麗に水切りが決まった。
頬を朱に染めた靖友くんが私に振り返る。
「、水切りやったことないだろ。せっかくだから、教えてやんよ」
「……うん」
飲みかけのココアを平らなところに一旦置いて、靖友くんのもとに走る。
海は今も、穏やかに波打っている。特別な日に過ごした何気ないひとときは、これからもずっと忘れないだろう。